小津安二郎の俳句
いつものように、小生の拙句でお目を汚すのもいかがなものかと思い、新しい趣向として映画監督小津安二郎の俳句をお目にかけることにしました。
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まだ俳句を始めて二~三年のことであった。このブログで「飯田龍太の俳話」と題して紹介したことがあった。その中で龍太は、”俳句がうまくなるには、一年間毎日一句詠んで書きつけなさい”と、言っていた。この記事に、すぐ反応してきたのが、今は亡き百鬼さん!そんなことを思い出していた時、『小津安二郎の俳句」という本をコロナ禍で人が誰もいない京都駅の書店で見つけた。稀覯本である。この本のことを取り上げたら今度も、百鬼さんがご存命であったら、すぐまさま反応してくるような気がしてきた。
小津安二郎は、映画監督として「東京物語」や「晩春」「秋刀魚の味」など数々の情緒溢れる映画を撮っている。その彼が詠んだ二百二十余句から味わい深い印象に残る句をいくつか選んでみた。小津へのオマージュである。それぞれの句へのコメントは、『小津安二郎の俳句」の著者松岡ひでたかのものである。松岡は、俳人にして俳句研究家である。ちなみに小津の映画には、季題を使ったものが多いのに気づく。
○寒鯉やたらひの中に昼の月
~”まず、盥の底に沈んでいる寒鯉を捉え、そののちに、視点を水面に合わ せた。この僅かな視点の違いを一句に詠み込んだのは、実に見事である”( 松岡)
○わが恋もしのぶるままに老ひにけり
○つくばひに水の溢るる端居かな
~”茶室の縁に座して端居している。まなざしは庭に向けられている。そこ に置かれている手水鉢には水が溢れつづけている。いかにも端居にふさわし い、静かなひとときである”(松岡)
○ころぎやとなりは壁に釘をうつ
○口づけも夢のなかなり春の雨
○菜の花の咲くや樋もる雨の音
”この句は、ひとときではなく、長い時間を詠み込んだ。耳は雨音。それも 「樋もる」に傾いているが、目はあるいは思いは盛んに咲いている菜の花に 寄せられて要る”(松岡)
○春風や小田原外郎(ういろう)藤左衛門
~”この句は、切れ字の「や」以外、全てが名詞で漢字。漢字を並べた固さ が「春風や」という季題によって暖かく包まれている感がある。また「外郎 藤左衛門」のひととなりにも思いをいたしてのことであろう。長い名詞の 活用は、表現の無駄を排するのに適切である。このように名詞や長い言葉を 使って、十七音字の中に、情感を入れる余地をなくしてしまうのが佳品をな すのにいい方法である”(松岡)
○月あかり築地月島佃じま
○青梅も色づくままに酒旗の風
○旅人宿のぼんぼん時計や日のさかり
○鯛の骨のどに立てたる夜長哉
~”いずれに、いたずらに情感に流れたりしない。清澄で静謐。十分に抑制 を利かしている。”(松岡)
○遠花火鈴木主水の屋敷跡
~”小津の代表句としてよい佳品である。視界の手前にあるのは鈴木主水の屋敷跡。その遠景に花火が大きく開いている。景も単純化されているし、表現にも無駄がない。無駄がないということは、季題のはたらきを妨げるものがない、ということでもある。” (松岡)
○黒飴も(の)ひとかたまりの暑さかな
~”これも小津の代表作といってもいい。「ひとかたまり」になった「黒飴」に「暑さ」を感じているのであるが、その「ひとかたまり」も「黒飴」も暑さを表すのに効果的である。(の)の方がいい。”(松岡)
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小津は俳句の持つモンタージュ性を映画の手法に意識的に取り入れ、映画作品に独自の余情・余白の美をもたらした、と言われている。ロー・ポジション(ロー・ポジ)からのカメラによる撮影にも、それを感じる。
みなさま如何でしたでしょうか。お気に召すような句がありましたか。
お久しぶりです。京都までお出かけとは、相変わらず行動派ですね。
座学無しに、いきなり俳句実習に入った小生に、座学の良き機会を与えて頂きありがとうございます。
好きな句は、この際じっくり味わて後にコメントさせていただきます。
とはいえ、良いタイミングで「小津安二郎の俳句」を教えて頂きました。たまたま、産経新聞朝刊(5月10日)の書評欄に、歌人川野里子氏に
より紹介されていました。
それでは後程。
葉有露拝
早速、記事にお目通しいただきありがとうございます。後ほどのコメントを楽しみにしております。
時々、気分転換にと俳句から少々脱線したこのような記事を書いております。
黒飴のひとかたまりの暑さかな
コメントありがとうございました。小津の俳句は、季重なりや無季なども多く、それほど上手なものとは思われません。しかし、ここに掲出した句には、情景をうまく浮き出させるものがあって、小津映画に通じるものがあるように思いました。
小津安二郎の句は初めてお目にかかりました。
一連の句を読んでいて感じるのは、何れの句も、そこに描かれる情景が、何か余韻を漂わせるものがあるということ。彼の映画そのもののシーンを思い浮かべる。それだけに俳句はただものではないということなのだろう。
そして、感じるもう一つは季語と同時に固有名詞の持つイメージを、季語以上に効果的に使用しているように思う。一語一語が大切な俳句そのもではあるが。
以下の句が印象的でした。
○つくばひに水の溢るる端居かな
静謐そのもの。
○月あかり築地月島佃じま
月明りに照らされた地名の効果が抜群。浮世絵の如し。
○青梅も色づくままに酒旗の風
杜牧の「江南の春」の続きを見るよう。
○鯛の骨のどに立てたる夜長哉
映画のシーンを見ているようだ。
お早う御座います。
この一週間は、「小津安二郎の俳句」ですごしました。映画と俳句という一見深い係わりのない世界が、こうも相和するごとく結びつくとは、想像もしませんません。
その印象の中で、次の3句を選びました。
。つくばいに水の溢るる端居かな
。青梅も色ずくままに酒旗の風
。旅人宿のぼんぼん時計や日のさかり
笠智衆の顔が浮かんできそうです。
ゆらぎ様の本書の紹介を得て、小生は「文藝別冊 小津安二郎 (増補 小津安二郎(全)俳句
223句」河出書房新社を購入し、この一週間を楽しみました。
ゆらぎ様紹介の句は、いずれも、小津安二郎が
32,33歳のころの作品のようです。
普段とは異なる世界に誘っていただき、ゆらぎ
様には感謝申し上げます。
葉有露拝
まことに的確なコメントを頂きありがとうございました。龍峰さんの選ばれた”つくばいに水の溢るる端居かな”、は、小生もこれがもっとも優れたもののように思います。小津の俳句は玉石混交ですが、この句の深みは、見習わなければと感じました。
小津の俳句をじっくりと楽しまれたようですね。ご指摘の通り、ここに出ている句は、俳句を始めてまだ数年のころの作品です。晩年のものは少し物足りません。いずれにしろ、映画監督が詠んだ句は常人のものとは違う視点から詠まれているように見えます。それが情趣溢れるものになっているように思います。
いつもアクティビティ溢れる行動の貴兄に於かれましては、このコロナ禍自粛の折り如何お過ごしであろうか?と心配して居りました。
今回の特別企画は、嘗ての名監督小津安二郎の俳句鑑賞と云う事であり、その前にユーチューブにて古い映画を観ていました。「麦秋」「さんまの味」「東京物語等」などであります。
映画は小生も好きであり、若いころより色々観ていましたが、若いころは正直に言えば小津映画の良さが解りませんでした。ここ数日間、小津映画を鑑賞してみてやっと理解できるようになりました。
やはり人生経験を踏まなければ、中々理解できないようです。
そして、分った事は小津作品の映画の中には上流階級も一般市井も一環しているものがあり、それは日本人の人間としての「品格、品性」が貫かれている云う事のようです。
そして小津安二郎の俳句はゆらぎ様より、何処かでご紹介頂いたような記憶があります。
とまれ、いつものように前置きが長くなりましたが、下記の句を選んでみました。
☆寒鯉やたらひの中に昼の月
昔の人は良く川魚を食べていて、何処かで捕まえた寒鯉であろうか?あるいは頂き物であろか?食するまで盥に入れて鑑賞しています。時折跳ねるものの、いつもは背びれをだし静かにしています。そこに昼の月が映っています。
☆つくばひに水の溢るる端居かな
夏の夕暮れ時であろか?少し涼しくなった縁側に座って佇んでいます。つくばいに樋を伝って水が滴り落ちています。その光景を見るとはなしに眺めています。日中の暑さも一段落した夕べの静寂と、つくばいへの水の音さえ聞こえそうです。
☆こほろぎやとなりは壁に釘を打つ
アパートの一室の静寂な秋の夜長でしょうか?静かな中に、突然隣の部屋より壁に釘を打つ音が聞こえだしました。そして、いっそう自室の静寂を感じている作者です。
☆月あかり築地月島佃じま
小生は東京駅八重洲の百貨店に勤務していましたので、月島に納品と倉庫と作業場の別館があり、お中元、歳暮期には良く行っていました。八重洲の百貨店の地下よりマイクロバスに乗り、築地を通り、勝鬨橋を渡って右折をすれば月島別館でした。その界隈にはもんじゃ焼きの名店もありました。この句には懐かしい地名が沢山詰まって居り、月、築地、月島、佃じまと「つ」の頭韻が続き涼やかな秋が想われます。
☆鯛の骨のどに立てたる夜長哉
この句も文人俳句として何処かでお目にかかった記憶もあり、雰囲気のある名句ですね?
概して小津安二郎の俳句は、言葉遣いが意識しての平明さでありさ、わかりやすく親しみが持てます。やはり小津映画に通底するものがあるようです。
拙文にお目通しいただきありがとうございました。
おっしゃるように、小津安二郎監督の映画作品は、中年以降のある年になってはじめて、その良さをしみじみと感じさせるものがあります。『東京物語』を見ていると、家族とはいったい何なのであろうかと考え込んでしまいます。