富士山 2017年4月北斗市の辺
列島否世界中を緊張させ続けているコロナ感染の流行、外国ではまだ感染が広がっているが、日本は幸いなことに、緊急事態宣言の解除が全土で行われるところまできた。しかし、2次、3次感染必至と言われており、無罪放免とまではいかない。
5月20日の日経朝刊に歌人で細胞生物学者の永田和宏氏が「短歌は世相を映す鏡」「悲しさ・つらさ作歌の契機に」と題する一文が載っていた。
ふと考えてみれば、俳句では時事俳句を嫌い、盲目的に「詫び寂び」を極上として作句してきた感じが強い(自分だけかもしれないが)。しかし、俳句は元々、和歌の雅言葉のみ操るところを嫌い、巷の俗言葉も良しとして庶民の赴くままの感情を吐露するところに、本来の意義求めて和歌から派生したのではなかったのか。なぜか、芭蕉に暗示をかけられていつの間にか、世捨て人のような句を最上としているのでなかろうかと思い出した。
短歌が、今日、自由に「世相を鏡」として詠んでいるのに、このような世相の緊張状態でも俳句は「詫び寂び」かと、それはないだろうと。本来なら、世相に反応する点では短歌の上をゆくべき俳句が、と一人合点して敢えて、邪道かもしれないが、永田氏に刺激を受けて、今の世相を感じるままに詠んでみた。
白雲の富士登山口閉じにけり
三次大戦とや八十路に入る五月憂し
手を洗ふ心も洗ふ夏つづく
虎までもとばつちりとはコロナ夏
自粛とて青ひょうたんなる己が顔
逢ふ人みなマスク純白この地球
夏霧深し手探りの四方の長(おさ)
見えぬ敵挑む医の烈士夏の沼
百歳(ももとせ)に一度の災禍やごめの声
いふなれば不要不急ばかり気づく夏
川床の流がされけりな古都の夕
閉鎖さるマロニエ咲きしシャンゼリゼ
更に俗の淵にはまり、「コ・ロ・ナ」を頭に、今を詠んでみた。
子らの声路地より消えて茄子の花
この街も牢つづくごと夏暮れぬ
湖港出て櫓むせぶ夕や夏しぐれ
小上がり閉じ楼の灯りも流しも消ゆ
御説ごもっともです。久しぶり面白い俳句を読ませてもらいました。どれが好きな句かと選ぶとなると、この種の句は優劣をつけることが出来ないと思います。さて、・・となると「私の好きな句」と称して今までコメントを入れていたことが、一体何をしていたのかという疑問が出てきます。やはり伝統俳句の、強いて言えば芭蕉の流れを継ぐものを選んでいたのかもしれません。
芭蕉の流儀もそれなりに評価できますし、時事俳句となると所詮川柳の域に入ります。時により、そしてその時の生き方に添いながら好きな句を読めばと思います。
だいぶ前の日経の記事にあったのですが、「コ・ロ・ナ」というカタカナの字画を組み合わせると「君」という漢字になります。そこで一句、
ところてん「君」を崩して「コ・ロ・ナ」と化せり
早速コメントを頂き有難うございます。
いわれるように、「時により、そしてその時の生き方に添いながら好きな句を読めばと思います。」、その通りだと思います。感情の赴くままのうち、「詫び、寂び、自然描写」はその感動の一部を伝統俳句と称しているのかもしれません。感情に流されえて、ダジャレを詠めば、芭蕉以前の松永貞徳らに戻ってしまう。
そこの匙加減ですね。但し、世の中がパンデミックでひっくり返っているのに、「詫び寂び」で殻に閉じ籠るのは、個人的には頂けないですね。
「ところてん「君」を崩して「コ・ロ・ナ」と化せり」、日経記事を遡った訳ですね。小生もこの記事を読んで、色々考える人もいるものだと感心しました。
言葉遊びは今の自分にとっては、結果として、脳の活性化の一助になればという気持ちがありますね。大いに楽しみましょう。
”このような世相の緊張状態でも俳句は「詫び寂び」かと、それはないだろう”、との考え方には共感を覚えます。気侭に詠みましょう。時事俳句も、たまにはいいのではありせんか。それにしても、「コ・ロ・ナ」の句など頭が柔らかいですね。感じ入りました。
印象に残る句として、下記の四句をいただきます。
○手を洗ふ心も洗ふ夏つづく
○虎までもとばつちりとはコロナ夏
○見えぬ敵挑む医の烈士夏の沼
○子らの声路地より消えて茄子の花
早々に4句もお取り頂き、有難うございます。
このような時には、時事俳句も許されるのではと云う小生の独善にご理解頂き有難うございます。
時事俳句に更に悪乗りをして、ダジャレ句もトライしてみました。所詮言葉遊びですね。
今回の自粛生活で、自分の生活を見直す機会になりました。無駄も多かったようにも思います。良かったのは、料理を少々できたことですか。大手を振って談論できる日が来ること切に祈りたいところです。
今晩は!!。
緊急事態宣言もようやく解除となりましたね!!。
小生は、2月中旬以来電車・バスでの外出は自粛して居りました。その理由は京都市内には中国人を初め、外国人観光客が溢れクルーズ船のみではなく、市中感染はかなり蔓延していると感じたからです。
その間は午前中はFBでの俳句関係の投稿やお礼などで過し、午後昼食後は毎日1時間~1時間30分ほどのウォーキング(と云っても俳句手帳片根手の散策)です。その後、1時間ほど昼寝も行い、あとはパソコンの動画にて古い映画やジャズ音楽を楽しむ毎日です。その為、余り自粛の不自由さは感じませんでした。
唯、毎日ニュースは具に見て居りましたので、PCR検査の実施不備、緊急事態宣言の発令の遅さと休業補償の無さ、など現安倍政権はすべての対応が「後手後手」であり、非常事態下での政権運営は不可能(無理)であると強く感じました。我が家にはまだ「アベノマスク」は届かず、「アホノミクス」、「アベノリスク」などと世間より揶揄され、内閣支持率は30%を切り、27%と凋落の一途であります。
そのあたりの事は、左の欄のブックマークの「かつらたろうの俳句日記」へも記していますので、ぜひご参照下さいませてい。
そして、龍峰様の俳句への思いは小生も同じであります。本来的には花鳥諷詠の伝統俳句を基本としていながらも、時事俳句などはとても興味がそそられます。そのあたりの貴兄の柔らかい発想には感嘆するばかりであります!!。
さて、以上のことを踏まえ、秀句ばかりの中より下記の句を厳選してみました。
☆手を洗ふ心も洗ふ夏つづく
とにかく手洗いとマスク着用、人込みを避けステイホームなどと云われ、暑くなってもまだこの状態は続きそうですね!!。
☆虎までもとばつちりとはコロナ夏
茨木のチューリップ畑が観光客が来ないようにと刈り取られたり、藤の花で有名な場所も切り取られてしまいました。動物園の虎までがとばっちりです。
☆夏霧深し手探りの四方の長(おさ)
政府によって緊急事態宣言が発令されても、具体的な実施は都道府県の知事に委ねられ、営業自粛、外出自粛などすべて知事のよって計画されました。休業補償と云っても各都道府県の財政的な事もあり、政府が主体的ゐ行うべきでありました。
☆見えぬ敵挑む医の烈士夏の沼
医師がPCR検査の必要性を認めても、厚労省による基準があり、保健所によって判断され患者はたらい回しとの酷さです。おまけに医療の現場では、防護服やマスクなどの医療品やベッドも大幅に不足し、医療崩壊の危機まで叫ばれました。
☆百歳(ももとせ)に一度の災禍やごめの声
今回の新型コロナウイルス肺炎はスペイン風邪以来の100年に一度の災禍とも云われています。パンデミックとなり、世界各国のリーダーの手腕がこれほど問われた事はありません。概してドイツ、スウェーデン、ニュージーランド、台湾などの女性首脳の活躍が目立ったようです。やはり、女性特有のきめ細かな目配りが効くようです。
☆閉鎖さるマロニエ咲きしシャンゼリゼ
世界各国で、緊急事態による都市封鎖(ロックダウン)が実施され、世界中の大都市が閑古鳥と云う不気味さです。
尚、「コ・ロ・ナ」の頭付けの句は下記の三句を頂きました。素晴らしい頭脳の柔らかさですね!!。
☆子らの声路地より消えて茄子の花
☆この街も牢つづくごと夏暮れぬ
☆小上がり閉じ楼の灯りも流しも消ゆ
大変なボリュームのコメントを頂き有難うございます。また、9句も拙句にも関わりませず、お取り頂き有難うございます。
漸く、全土での緊急事態宣言が解除になりました。いろいろな不手際は否めませんが、世界の中では、日本は犠牲者が少ないことはご同慶の至りです。理由はまだよく分かりませんが、しかし、まだまだ気は抜けません。
このような異常事態ですから、俳句もイレギュラな句も許されるかと、自分で決めてトライしました。
虎の句、実は動物もコロナ感染するのがいるとのことです。虎がそのうちの一つで肺炎にかかると。それで、虎の句を作りました。
最後にやけくそで、「コ・ロ・ナ」を頭に句作りをトライしました。少しは自粛の憂さが晴れました。各自のやり方でストレスをためない事が大事と悟りました。後しばらくの辛抱ですね。そう祈りましょう。
殿になりました。
コロナ社会での日々に触れ、共感を覚える句を選び
ました。
。手を洗ふ心も洗ふ夏つづく
。自粛とて青ひょうたんなる己が顔
。逢う人みなマスク純白この地球
。いふなれば不要不急ばかり気づく夏
正常な世界での異常な事象か、異常な世界でも正常を取り戻そうとする行為なのか、戸惑います。至極当たり前で、気にもしないはずの事柄が
妙に引っかかる毎日です。
諸兄のご健勝を祈ります。
葉有露拝
4句もお取り頂き有難うございます。
毎日生じていることが、これからの地球上の人間の生き方を変えるかもしれない、そのような場面に立ち会っているのに、一向に深刻さが湧いてこない。どこかで、他人事だと思っている自分がいるのでしょうか。
深層心理学でいう、自分だけは、感染しないという思いに駆られる弱い人間なのかもしれない。
ともあれ、お互いこの災禍に引っかからないようにくれぐれも気を付けましょう。