草若葉

シニアの俳句日記
 ~日々の俳句あり俳句談義あり、そして
折々の句会も

今日の俳句 / コスモス (九分九厘)

2009-10-07 | Weblog

離れ見て可憐あらたむ秋桜
コスモスの花弁に傷あり時遅し
コスモスのペチャクチャ話し気にもせず

十六夜やおのれの鼻の白かりき
やはり翳を診る人あり十六夜

つっかけの無駄な出入りや月の雲
ハイドンの転調過ぎて仲秋無月

仲秋の名月はすっかり雲に覆われてしまった。翌日の日曜日は快晴の日となり、昼間はコスモス、夜は十六夜を楽しみ、お酒も美味しかった。翌日からは再び月は姿を消し、いよいよ大型台風の襲来。庭の鉢等を風の当たらぬ所に避難させる。
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7 コメント

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”仲秋無月”と”つっかけ” (フェニックス)
2009-10-07 23:56:17
九分九厘さま

九厘さまのお句はどこかに一捻りあるので、私のような単細胞ではよく考えないと分らないことが多いのですが、それを承知の上でコメントさせて頂きます。

☆離れ見て可憐あらたむ秋桜
 コスモスを一般的な捉え方とは違って、一花、一花を見られているところが珍しいと思いました。お写真のコスモス畑は盛りを過ぎたものでしょうか?今年は私は出かけることが少ないので、群れ咲いている見事なコスモスをまだ目にしていません。
 
☆つっかけの無駄な出入りや月の雲
 私流の解釈では、「つっかけの無駄な出入りや」を、名月が雲間から出るのを今か今かと待ちつつ、玄関か縁側から出たり入ったりされているお姿かと拝察しました。そして、肝心の月は雲に隠れていることが多かったのですね。何か可笑し味のあるお句ですね。もしかして、「つっかけ」は雲のことかもしれないと、今ふと心をよぎりました。

☆ハイドンの転調過ぎて仲秋無月
 クラシック通でないフェニックスですが、ハイドンの曲は肩の凝らないものだと思います。その音楽を聴ききつ、美味しいお酒も召されながら名月が現われるのを待っている....そして、遂に無月で終わった....でも、そんなにがっかりはしていない...と解釈しました。

ところで、私の地方、門司では、2日の夜、3日、4日と観月に恵まれました。そこで、今までとは違った句を詠みました。拙句ですが....。
  
 ”名月や同心円の虹の央(なか)”
 
満月が周囲の白雲を自身を囲むように虹色に染めていました。こんな景を絵に描いたり、写真に撮ったりできたらなあと思いました。
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好きな句 (龍峰)
2009-10-08 15:27:04
離れ見て可憐あらたむ秋桜

作者の素直な気持ちがあらためて感じられる、如何にも秋桜を詠まれた佳句と存じます。

ハイドンの転調過ぎて仲秋無月

期待した仲秋の名月が雲に隠れてしまった。芒も団子もはたまた酒肴まで準備して心待ちにしたのに残念至極。ふっとハイドンの転調の激しいあの曲を思い出したと。チェロ協奏曲でしょうか、弦楽四重奏曲でしょうか。月が隠れてしまったことよりハイドンが出てくる所がすばらしい。

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好きな句とコメント (かつらたろう(桑本栄太郎))
2009-10-08 21:48:42
☆コスモスの花弁に傷あり時遅し
コスモスの花を眺めに、出かけよう出かけようと思いながら、漸く来て見れば花は既に見ごろを終わっていて、花弁に傷があるほどだった・・。今年は何故かコスモスの花はすっきり咲きませんでしたね。天候不順とは言え、本来コスモスはあの可憐さからは想像もつかない程丈夫なのですが・・。お写真から茎が赤くなり始めていて、コスモスを愛でる時季を逃がしてしまったとの残念な心情を思います。

☆やはり翳を診る人あり十六夜
「翳を診る」との語句から、雲間に隠れたり、出てきたりのお月様を知人のお医者さんが観月の光景でしょうか?普通であれば雲などの「陰を見る」とされる所から、御句に物凄い想像力を掻き立てられます。

☆ハイドンの転調過ぎて仲秋無月
名月の夜は、天候が急変して雲から見え隠れし、やがて全く見えなくなりましたね!。名月を愛でる事をハイドンの急変する名曲に喩えられるところは、はやり九分九厘様ならではと思いました。又、解説のコメントも大変楽しみです。
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十六夜の翳 (フェニックス)
2009-10-08 23:04:37
九厘さま

☆やはり翳を診る人あり十六夜
 このお句についての、かつらたろう様のコメントから、なるほど、翳を診るは、医者がX線写真(レントゲン写真と昔は言っていた)について、よく使っていた言葉だと思い出しました。十六夜の月は満月の縁が少しだけ欠けたものですね。その翳りの部分を観る人を「診る人」と詠まれたのでしょうか? ご解説を楽しみにしています。
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お礼 (九分九厘)
2009-10-09 10:04:17
フェニックス様
 九州の方は名月が楽しむことが出来た由良かったですね。「翳を診る」はたろう様ご指摘の通り、医者がレントゲン写真を診ることにひっかけて作りました。診たのは私自身で、仲秋の満月も十六夜もそんなに変わるはずがないと思っていて、注意深く観察しますと、やはり僅かに影が出来始めておりました。ちょうど今日あたりの月は半分近くかけてきておりますから、早いもものですね。他の句にもご丁寧なコメントを頂き感謝します。

”名月や同心円の虹の央(なか)”
読んだ途端はよく意味が分からなかったのですが、こうゆう自然現象があるのですね。私は一度も遭遇したことはありませんが、さぞ素晴らしい眺めだったことでしょう!
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お礼 (九分九厘)
2009-10-09 10:17:20
龍峰様 
 二句を選んで頂き有難うございます。総合運動公園にコスモスの丘があります。春は菜の花の丘に変わります。ボランティアあるいは寄付団体の区画を決めて、毎年住民参加で植えているものです。最近は幼稚園の区画が増えてきました。なかなか洒落た企画です
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お礼 (九分九厘)
2009-10-09 10:28:14
たろう様
 無月の時、たまたまハイドンの最後の交響曲104番を聴いておりました。月が見えていたら俳句を吟ずるに夢中であったはずの夜が、ハイドンを聞く羽目になったのですが、過去も将来も誰が見ても、そしてハイドンも見たはずの、その月は同じに見えるはず、と思いながらの晩でした。

「コスモスの花弁の傷」「影を診る」のいずれの二句は、すこしマイナーなイメージがあって、今頃反省しております。やはり俳句は前向きかつ上昇型である方がよろしいようですね
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