前線が日本列島に居座り、季節感がおかしくなりそうです。俳句教室では、兼題が正確に出されますが、日々の生活実感とあわず困惑しています。
俳句教室兼題:: 秋の蝉・流星・芙蓉
午前五時律儀に仕事秋の蝉
・秋の蝉殻に行方を問ふてみる
・秋の蝉今の舞台が終の日か
・帰還せし流星土産謎に満ち
・酔芙蓉化粧鮮やか日暮れまで
・芙蓉見るその出会いにて別れたり
前線が日本列島に居座り、季節感がおかしくなりそうです。俳句教室では、兼題が正確に出されますが、日々の生活実感とあわず困惑しています。
俳句教室兼題:: 秋の蝉・流星・芙蓉
午前五時律儀に仕事秋の蝉
・秋の蝉殻に行方を問ふてみる
・秋の蝉今の舞台が終の日か
・帰還せし流星土産謎に満ち
・酔芙蓉化粧鮮やか日暮れまで
・芙蓉見るその出会いにて別れたり
句会の兼題はオーソドックスそのものですが、やはり時には有名な句を参考にしながら、原点に返る機会を与えてくれるものだと思っています。次のそれぞれの兼題を含む三句を頂戴します。
午前五時律儀に仕事秋の蝉
この句の発想がいいですね。何か昔の若きサラリーマン時代を思わせるようなところがあります。意外に生々しい感じの句です。
帰還せし流星土産謎に満ち
リュウグウから持ち帰ったハヤブサ2の資料から新しい発見。地球の水や有機物は他の天体から運ばれたとの学説が本当かも知れない。この広大な宇宙には人間以外の生き物が何処かにいるに違いない!
酔芙蓉化粧鮮やか日暮れまで
酔芙蓉と人間女性の生態が重なってくるのがとても面白いです。尚、連句に出た次の句もとても好きな句なのですが・・・。深読みするととても悲しい句です。
朝見かけそれが別れの花芙蓉
以上
早速にお目通し頂きお礼申し上げます。
日々の生活では余り気にしていないだけに,その都度歳時記を開き、参考にしています。
。午前五時律儀に仕事秋の蝉
小生は未だ寝ていますが、向かいの教会の木立に住む仕事師はもう起きています。ほとんど毎年こんな感じで、その正確さに感心します。
。帰還せし流星土産謎に満ち
小さな小さな物体が大きな大きな世界を見せて呉れそうです。
。酔芙蓉化粧鮮やか日暮れまで
。朝見かけそれが別れの花芙蓉
アオイ科フヨウ属のハイビスカスも似ていて,朝一番既に満開で夕方そのまま閉じて落ちてしまいます。精一杯生きて,咲き散る、短い一日です。
拙句にも拘わらづ共感を頂き有難うございます。
葉有露拝
残暑お見舞い申し上げます!!。
俳句教室に通われ、すでに2年経過しましたのでしょうか?
大変僭越な申し様ながら、草若葉の当欄へ投句される度ごとに確実に腕をあげられ、感嘆致しております。
以下の御句を鑑賞させていただき、感想を述べさせて頂きます。
☆午前五時律儀に仕事秋の蝉
立秋後に鳴く蝉は「秋の蝉」と云いますが、種類は熊蝉、油蝉、法師蝉、蜩など色々あり、季節が進む度に結婚相手を求めて焦ったように鳴きますね?日照時間に合わせているようですが大体同じような時間に鳴き出す律儀さです。
☆秋の蝉殻に行方を問ふてみる
彼方此方に沢山見かける蝉の殻ですが、いつも見る度に何かを訴えているような趣がありますね?抜け殻と云っても存在感があり、思わず行方を聞いてみたくなります。大変趣のある秀吟ですね!!。
☆秋の蝉今の舞台が終に日か
蝉は地中にて約8年過ごし、中にはアメリカに18年蝉も居ると云うから驚きです。また羽化してから一週間の命と云われて居ましたが、研究が進み約一ヶ月生きるものも居るそうです。今日、今鳴いていて今日が命の果てる日か?と想う作者です。
尚僭越ながら「終に日か 」では意味不明となり、「終の日か」が相応しいようです。
☆帰還せし流星土産謎に満ち
ハヤブサ2の持ち帰った小惑星リュグウの資料の物質より、水や有機物が検出され、地球の生い立ちの調査にも役立ちそうですね?更にリュウグウは太陽系以外からかも?と注目されて居ますね!!。
☆酔芙蓉化粧鮮やか日暮れまで
芙蓉の花でも「酔芙蓉」は前夜までは白無垢でありながら、翌朝には酔ったように紅が差し萎んでしまいます。前夜のつやっぽい出来事が想われ、風情がありますね?又僭越ながら、このままでは「日暮れまでは化粧鮮やか」ともとれ、推敲が必要なようです。
・・・「夜べまでは無垢でありしに酔芙蓉」なども?
以上、僭越なるコメントも多々ある事をご寛容くださいませ!!。
酷暑お見舞い申し上げます。
いつもながら拙句を詳細にに見て頂き、厚くお礼申しあげます。俳句教室での兼題は女性向が多く、男性生徒一人の小生にとって、やりにくい次第です。
お採り上げ頂いた蝉三句は、子供の頃から馴染んでいる蝉との付き合いを並べた次第です。ご指摘の「終に日か」は、PC上の間違いで「終の日か」が正解です。
酔芙蓉化粧鮮やか日暮れまで
木槿と並んで一日花と云われています。朝先は咲き初め、そのまま満開に向かい夕べには散ってしまいます。
大きな塊群生し多くの花が咲きますので、どの花
が落ちたのか分からないことが多々あります。
有難うございました。
葉有露拝
この夏はことの外気候は可笑しいです。その分、ますます旧暦の季語は、日々の実感と離れていくようです。
句を詠むときの戸惑いですね。
佳句の中から下記の句を頂きました。
午前五時律儀に仕事秋の蝉
今夏は雨が多いのか、いつもよりセミの鳴き声は少ないように思いますが、それでも晴れの日は朝早くから蝉が鳴きだしますね。正に「律儀」です。そこに痛く作者は感動したことがよく伝わってきます。
秋の蝉殻に行方を問ふてみる
短い命の蝉、その抜け殻を見て一体どこに飛んで行き、今頃はどうなっているのだろうかと、作者は感じておられる。その素朴な、やさしい気持ちがよく伝わってきます。
友が学校を出て社会人となり、その後は互いに会うこともないが、今頃は一体どうなっているだろうかと、思うことにも通じるように思います。
芙蓉見るその出会いにて別れたり
道を散策されていて、酔芙蓉に出くわした、そしてきれいだと思いつつ立ち去った。
何か長い人生航路においても、似たような光景が多い。一回きりの出会いであったが、印象に残る人、変わった人、意気投合した人など等、種々多い。
作者は芙蓉との出会いを、どのように感じられたのだろうか。
確かに季題と、実感は合いませんね。少なくとも一ヶ月は、擦れているように感じています。そんな中での、大兄の秋の句の数々、楽しませて頂きました。印象に残った下記二句を頂戴いたします。
◎帰還せし流星土産謎に満ち
~流星の破片が地上にに帰還し、それが一体なんなのか。生命の起源を辿る手がかりになると想像を逞しくします。好きな句です。
◎芙蓉見るその出会いにて別れたり
~貴兄がどのような思いで、この句を詠まれたのか知る由もありませんが、小説家髙橋治の作品に『風の盆恋歌』という道ならぬ恋を描いた作品があります。その中で酔芙蓉の花が点景として取り上げられています。芙蓉の花は、別れをイメージするのものでしょうか? 色んなことを考えさせてくれる句です。
ついでながら、”秋の蝉今の舞台が終に日か”、は”・・・終の日か”の間違いではありませんか。
拙句にも拘わらず三句までもお採り上げ頂き、お礼申し上げます。日々の生活に、変化、新鮮味を如何に取り入れるか、とても工夫が要ります。俳句は,その点でかなり役立ちます。
・ 午前五時律儀に仕事秋の蝉
学生時代、社会人時代、引退後、程度の差はあれ律儀の要素は抜けきれないようです。そんな部分に蝉が気を付かせてくれました。
・秋の蝉殻に行方を問ふてみる
龍峰様のコメントとほぼ同一の思いです。殻は確かに中味がありませんが,中々しっかりした形で強い意志を持っているようです。
・芙蓉見るその出会いにて別れたり
芙蓉の群生が人間集団に見えたりします。遠くからでは、変化がないようですが、咲いて散るその繰り返しの世界です。その変化があって、美しさが保たれていると思ったりします。
多様な角度から読み取って頂き有難うございます。
葉有露拝
締めくくりのコメントを有難う御座います。
・芙蓉見るその出会いにて別れたり
花言葉を見ると、「心変わり」・「しなやかな恋」・「繊細な美」・「幸せの再来」とあります。
社会に出て60年余様々な人々と出会いました。偶然も必然も含めて、それぞれの中で花言葉のいずれかが少しづつは見られたように思います。
尚、ご指摘の「終に日か」は、「終の日か」が
正しくPC上での小生のミスです。訂正してしました。
葉有露拝