みなみな様、本追悼句会にご参加を頂きありがとうございました。皆さまからお寄せいただきました追悼のお言葉と追悼句を永田木綿さまにご紹介申し上げましたところ大変喜んでいただきました。改めて泉下の有世さんのご冥福をお祈り申し上げます。
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(草若葉追悼句会) さる三月九日、長逝されました句友四捨五入さんこと永田有世さんを偲んでここに追悼句会を開催いたします。 (文責...ゆらぎ)
(ゆらぎ)
有世さんは同期の桜でしたが、芒の会を一緒に立ち上げた頃からはとくに親しくおつきあいさせていただきました。もう10年余前になりますが、同期会のおりに九分九厘さんと俳句をやろうと話をしていましたところ、有世さんから、”それなら知っている俳人がいる”、と言って紹介の労をとっていただきました。その俳人が主宰の長山あやさんでした。
さまざまな思いが胸中を去来しますが、そのひとつふたつを記させていただきます。この草若葉は2007年7月に立ち上げました。当初は九分九厘さんと二人で書き込んでいましたが、12月からは四捨五入さんも参戦してこられました。その時の記事に、私は次のコメントを書かせていただきました。
”四捨五入さんは、草若葉創設メンバーの一人。今年五月から俳句に手を染めました 。句会では、初心者などど云いながら、はっとするような変化球を放ってきます。 新鮮な感覚にも驚かされます。一句ご紹介します。
”をなもみや幼き日々の庭遊び” (四捨五入)
若い頃自動車部の競技で活躍したとは見えぬような温顔。心優しい友です。”
また2013年の4月には、ワインを飲みながら放歌高吟、45分で5句を即吟という会をはじめました。それに有世さんは「ビストロ句会」と命名されました。大分苦労をされたようですが、楽しんでおられたようでした。
”ワイン飲み俳句詠みけり夏隣る” (四捨五入)
彼が詠んだ句から、好きな句を取り上げてみます。」
”をなもみや幼き日々の庭遊び” (前出)
”風雪に耐えし築地や落椿”
”草の花妻はその名を口ずさむ”
ご家族を大切にされ、奥様である木綿(ゆう)さんとの仲のよろしさがにじみ出てくるような句をよく詠んでおられまました。
もうお目にかかることはありませんが、私たちの記憶の中で有世さんは生きつづけています。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
”忘れめや苔の上なる落椿” (ゆらぎ)
”散りゆけど心に残る桜花” (ゆらぎ)
(九分九厘)
永田有世さんは、私と会社の同期入社で専攻も同じ機械工学出身のお方です。配属は異なったものの、以来半世紀以上のお付き合いでした。寡黙なお方でしたが、発する言葉は常に的を得たもので、ユーモアをそっと忍ばせるこつを心得ておられた。先に逝かれたことは真に悲しいことであり、心からご冥福をお祈りする次第です。
平成19年5月に芒の会を立ち上げ、手作りの第一句集を編纂したのは3年後の平成22年5月のことです。有世さんの句集の欄の最初の句は次のものです。
夕闇に一番星の蛍かな
句集の巻末に投稿者の寄せ書き欄がありますが、下記の有生さんの記事はこの巻頭句について述べたものです。その記事は蛍の俳句を詠むために多可町の野間川に奥様と吟行に行かれことが書かれています。その後も、有生さんはこの句をとても大事に胸にしまっておられたことでしょう。
”六月ともなると、日の暮れるのが遅く、なかなかホタルが飛ぶほどの暗さにならない。しばらく今か今と待ったところで、堤防の斜面に植えてある躑躅の繁みの奥で一匹の蛍が明滅を始めたのを木綿が見つけた。近くにいた子供たちも「蛍だ!」「蛍だ!」と騒ぎ始めた。「蛍の一番星ね」と木綿がつぶやいた。折しも野間川上流の真上に宵の明星が輝き始めていた。
夕闇に一番星の蛍かな
この句は木綿のひと言から生まれたものである。”
追悼句
葉桜や散るを惜しみて空青し (九分九厘)
白き萼まさに散りなむ沈丁花 (九分九厘)
一山の花は君への散華かな (ひろこ)
君送る真青な空の花辛夷 (ひろこ)
(龍峰)
永田有世さんは俳人の前に、まず偉大なエンジニアでした。日頃無口であっても、ここぞという瞬間には、ツボを得た一言で困難な問題を解決し、複雑な議論を納めてしまう技をお持ちでした。
俳句は自然体で、飾らない言葉で細やかな気持ちを表現し、誰にも好かれる句柄でした。
一番の思い出は2年前の5月の金沢への一泊二日の吟行でした。金沢出身の有世さんと同郷の小生とで世話係を担当した。皆が感銘したのは一日目の夕食の料亭で、食事の後すぐに句会も開ける配慮の行き届いた手配でした。また、翌日の吟行の後の昼食は香林坊の料亭だったが、そこのエビの天ぷら丼に皆感嘆の声を上げた。大きなエビが7匹ほど乗っかっており、食べきれるか心配になるほどだったが、これがまた安い値段で驚いてしまった。これも有世さんの配慮されたサプライズとユーモアでした。
吟行の一同(金沢西茶屋街にて)
有世さんの吟行句
母校いま美術館なり風薫る
杜若流れ独占兼六園
池囲む松も楓も五月かな
緑陰を掻き分け小滝落にけり
特選 赤松のぐいと傾げて初夏の池
超特選 千年の古木の放つ若葉光
犀川や弾丸のごと夏燕
師育みし猿丸の森今若葉
騒がしき行々子聞くそれが好き
犀川は生命の泉風薫る
2年前には、あれだけ元気に仲間と古里金沢の吟行を行って、超特選や特選句などの立派な俳句を詠まれ、皆と楽しまれた、 有世さんが一瞬に幽明を隔つとは、未だに信じられない気持ちで一杯です。天は余りに無慈悲としか言いようがありません。
あらためて有世さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。
追悼句
金沢の水温もるころ君は立つ (龍峰)
この桜天にまします君愛でむ (龍峰)
(かつらたろう)
永田有世様とは、芒の会を通じて10年もの長いお付き合いであり、今回冥界へ旅立たれたことは兄弟を送るようでとても悲しみに耐えません。
いつも、口数は少な目であったものの、何事においても誠実な感じの人柄は、とても頼りがいがありました。吉野の一泊吟行では一緒にお風呂に入り、小柄ながら筋肉質の均整のとれた体格には驚いたものでした。又、京都御所の観月吟行句会では手術後であった為でしょうか? ゆらぎ様行きつけの料理屋で句会後の食事では、奥様(木綿)が有世様に日本酒を勧め、「たのみますよ!」と言われていた事を今でも思い出します。
ある時の句会に、とても大きな未だ開ききっていない牡丹を一輪句会のために持参されました。その大輪の一輪を花瓶に挿し真ん中に置いていましたら、二時間後の句会の終わる頃にはとても大きな花に開き、皆が歓声を上げた事がありました。
又ある時は有世様が「最近は私を見習ってなのか?息子も庭で土いじりをしています」と言われ、すかさず小生が「なる程!その事を称して有世(優勢)遺伝というのですね?」とジョークを返し、その場が爆笑となったことなどが懐かしく想われます。
それでは、有世様ならではの句を合同句集「いついつまでも」より、特に小生の好みの印象句をピックアップしてみます。
(永田有世作)
捨ておかれなほすくすくと花大根
千年の古木の放つ若葉光
手のひらに一点ひやり雨蛙
あれもこれもこの世の定め毛虫焼く
草の花妻はその名を口ずさみ
かつらたろうの永田有世様追悼句を詠ませて頂きます。
春潮のたゆとう光る明石かな
いつまでも「世に有」らまほし花吹雪
おもひでのひらひら川に花の屑
春星のひとつとなりぬ友送る
潮流る明石の海や春惜しむ
今頃は天駆けラリーか春の星
(網本紘子)
遅くなりましたが、有世さんを偲ぶ思いを書かせていただきます。
過日、昭子さんと木綿さんを訪ねました。元気にしておられほっとし、有世さんの遺影に手を合わせました。ご生前、育てて下さった蓮が、新しい芽を出しており嬉 しいことでした。初めてお目にかかった時の印象は紳士の一言でした。ナイフとフォークを実に美しく使っておられました。
五月の追悼句会を心待ちにしています。
(有世さんの句)
草の花妻はその名を口ずさみ
今日この日バレンタインの弛み貌
星飛んで孤の一閃を残しけり
(追悼句)
マナーよし貌よし蓮の有世さん (紘子)
きつぱりと歩まれし道蒲公英黄 (紘子)
過日、昭子さんと木綿さんを訪ねました。元気にしておられほっとし、有世さんの遺影に手を合わせました。ご生前、育てて下さった蓮が、新しい芽を出しており嬉しいことでした。初めてお目にかかった時の印象は紳士の一言でした。ナイフとフォークを実に美しく使っておられました。
五月の追悼句会を心待ちにしています。
(有世さんの句)
草の花妻はその名を口ずさみ
今日この日バレンタインの弛み貌
星飛んで孤の一閃を残しけり
(追悼句)
マナーよし貌よし蓮の有世さん
きつぱりと歩まれし道蒲公英黄