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御坊市塩屋文化協会が地域医療貢献の羽山家3代顕彰 〈2017年11月12日〉

2017年11月13日 08時30分00秒 | 記事


 御坊市の塩屋文化協会(溝口善弘会長)が、市の協働支援事業、日高振興局の地域・ひと・まちづくり補助事業を活用し、幕末から明治にかけて地域医療等に大きく貢献した羽山家3代の顕彰事業、熊野九十九王子の中で特に古く格式が高いとされている塩屋王子神社(美人王子)や日本でも五指に入ると言われる「はまぼうの群生地」など歴史文化等活用事業を実施し、熊野古道紀伊路沿いの「塩屋」の魅力を市内外に情報発信する。

 熊野古道は塩屋町内の中心を通り、沿線には幕末から明治にかけて地域医療に貢献し、世界的博物学者の南方熊楠とも親交が深かった羽山家、県文化財(史跡)などに指定されている塩屋王子神社、市の天然記念物、花木の「はまぼう」群生地、日本の重要湿地500選に選ばれている日高川河口干潟など歴史文化、自然の見どころが多く、それらを積極的に情報発信し、子どもたちや地域住民に塩屋の魅力を再認識してもらうとともに、観光客らに魅力を伝え、誘客に努める。
 羽山家顕彰事業は、幕末の1808年に印南原村に生まれ、京都で医学を学び、北塩屋浦に開業した羽山維碩、維碩の甥で養子に入った直記、直記の長男・繁太郎、次男・蕃次郎の羽山家3代の功績を顕彰。維碩は蘭医によって長崎に牛痘がもたらされると、天然痘予防の立場から県内で初めて種痘の普及に努力したほか、大変良く効く置き薬を調合、製品化して人々に配布。幕末から明治維新にかけて国内の様々な情報を求め得て記録した幕末風説留「彗星夢雑誌」(115冊)は歴史的価値のある貴重な資料とされている。
 直記は1846年に楠井村で生まれ、養父の維碩から漢学の手ほどきを受け、大阪の緒方洪庵の門に入って蘭学を学び、その後、塩屋村で開業。最新の医学知識と技術を駆使して患者の治療に励み、名医として知られた。塩屋村長も務め、自ら養蚕の手本を示して養蚕業の振興に尽力。繁太郎、蕃次郎兄弟は南方熊楠と深い親交を結んでいたことが知られている。繁太郎、蕃次郎を含めた6人の兄弟の多くは医学を学び、将来嘱望されたが、いずれも病で若くして亡くなり、羽山家は3代で絶えた。
 文化協会は「羽山家3代の功績は、あまり知られていない。このまま忘れ去られてしまうのは悲しく、残念なこと。顕彰することで後世に伝えたい」と、功績などを記した説明看板1基をつくり、羽山家がかつて居を構えていた跡地に建つ森畠医院に設置。リーフレット5000部もつくり、PRに活用するほか、散在状態にある遺品や記録などを資料としてまとめ、冊子300部を作成する。
 歴史文化等活用事業では塩屋王子神社の歴史を紹介するリーフレット5000部を作成。熊野古道沿いの見どころを紹介する散策マップの説明看板2基をつくり、北塩屋、南塩屋にそれぞれ設置し、リーフレット5000部もつくり、情報発信に努める。語り部と協同で普及活動を行ったり、小中学校での児童生徒向けの講演なども計画しており「地域住民はもとより、多くの人に塩屋の魅力を知ってもらえるように活動したい」としている。


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