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嘉納治五郎(柔道の父)「御坊に来ていた」 修道館(旧制日高中)を命名 〈2019年9月28日〉

2019年09月28日 08時30分00秒 | 記事

嘉納治五郎直筆の扁額の下で稽古する柔道部(日高高校百年史から)


 柔道創始者で「柔道の父」と呼ばれ、アジア初のIOC(国際オリンピック委員会)委員として1940年の東京五輪招致を成功させた嘉納治五郎=1860年~1938年=が、1926年に竣工した旧制日高中学校(現・日高高校)の旧武道館を「修道館」と命名し、建て替えられた今の武道館もその名を引き継いでいる。当時、御坊を訪れていた逸話も残っており、26日に開いた御坊中央ライオンズクラブ例会で講演した市文化財保護審議会委員の大谷春雄さん=大谷呉服店=がこのことを紹介しながら「御坊が意義深い土地であったことを再認識していただきたい」と話した。

 嘉納治五郎は、NHKで放映中の大河ドラマ「いだてん~東京オリンピック噺~」で中心人物の一人として描かれている。大谷さんは「嘉納治五郎が御坊に来たことは私の祖父や父から何度も聞かされた。同じ世代の祖父を持つ何人かの方にも話を聞いたが、同じ話を知っている。今はこのことを知る人は少ない。大河ドラマが放映されているこの機会に多くの方に知っていただければ」と話す。
 嘉納治五郎と御坊との接点は、旧御坊町の資産家で豪商として名高い紀小竹屋総本家の小竹佐兵衛が、1906年に東京の講道館で嘉納治五郎から柔道を学び、現在の本町1丁目に私設の柔道場を建築。「きしのや道場」と呼ばれ、無償で多くの青少年を指導。この道場を建てた時に嘉納治五郎を御坊に招き、もてなしたという。1926年に竣工した旧制日高中の武道館の名前を「修道館」と命名したのも嘉納治五郎で、日高高校百年史にも掲載されている。館内には直筆の〓額が掲げられていた。
 修道館の指導者として嘉納治五郎門下で会津出身の星愛喜が赴任し、わずか3年で全国大会準優勝者を出すなど旧日中の黄金時代を築いた。星愛喜の手記には「嘉納先生が修道館と命名されたのは誠に意義深い」とある。旧日中時代の「文武両道と質実剛健」の精神を受け継いでいるのが今の日高高校。直筆の〓額は1988年に新武道館建設のため解体されて以降、所在不明だといい、同窓会関係者が行方を探している。
 嘉納治五郎、御坊小学校にある伊藤博文の書額をはじめ、名だたる著名人が御坊を訪れた、あるいは関わりがあることについて大谷さんは「豪商が多く、御坊の地が栄えていたということ。スポーツが盛んな地であることも、この時代に基礎があった。御坊が意義深い土地であることを再認識していただきたい」と話した。また、星愛喜が会津出身であることにも「会津藩士・山川浩と御坊、日高の逸話との縁を感じる」と話した。


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