法隆寺の仏像については、時々、最新機器による撮影や調査がおこなわれ、新しい知見が発表されています。NHKが2020年に救世観音を精細な8K映像で撮影した際、その合間に専門家としておこなった調査をまとめたのが、
石松日奈子「夢殿秘仏救世観音像考(一)―二〇二〇年の調査から―」
(『聖徳』第252号、2024年7月)
です。
石松氏は、フェノロサが無理に夢殿の扉を開けさせ、秘仏を発見したとする通説は誤りであり、明治政府の命令によって岡倉天心が主導して調査したのであって、フェノロサは同行者にすぎなかったという話から始めます。
その救世観音像がクスノキの一木造りで造られていることは有名ですが、石松氏は、この像には一木造りに対して異様なこだわりがあることを強調します。持ち物なども同じ木から造られているのです。
彩色も独自です。表面に漆を塗って目止めをし、白土で下地をつくり、その上に金箔を押しています。髭は、金箔の上に太く描いており、朱に塗られた唇の下にくぼみが造られ、そこから顎に伸びる髭が塗られていました。写実的なのです。現在の姿でも異様に生々しいですが、制作当初はもっと人間のような生々しさを持っていたと石松氏は説きます。造形で一番似ているのは、山口大口が650年に造った四天王像であって、百済観音像などは王冠なども大きく異なっている由。
大きさは180センチほどであって、これは「尺寸王身」と言われ、太子等身で造られた金堂の釈迦像が立てば175センチほどであるのに似ているそうです。
冠は青色のや歩揺で飾られた豪華なものであって、仏像のかぶりものというよりは、冠そのものである由。これは古墳から出る冠と似ており、高句麗・百済・新羅の三国時代の朝鮮の古墳から出る冠と共通する要素があるため、そうした仕事をする渡来系の工人の作と見ます。
このため、石松氏は、釈迦像が如来形の太子であるのに対して、救世観音像は菩薩形の太子を形づくったと見ます。この論文は続篇が出るそうなので、楽しみです。