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『大成経』に関する最新の諸論文を含む特集:岸本覚・曽根原理編『書物の時代の宗教』

2023年12月02日 | 偽作の『五憲法』と『先代旧事本紀大成経』関連

 このコーナーでは聖徳太子作とされる偽の『五憲法』とそれを含む偽作の『先代旧事本紀大成経』に関する学問的な研究、そして『五憲法』や『大成経』を利用した強引な国家主義・道徳主義の押しつけやトンデモ説をともに紹介していきます。

 8月27日に東洋大学で『大成経』研究集会が開催され、私を含む内外の研究者が発表し、討議をおこないました。江戸時代の偽作である『先代旧事本紀大成経』について、こうした研究会が開かれたのは、これが初めでしょう。

 江戸中期に山王一実神道や修験道系の思想と『大成経』の影響を受け、独自の説を形成した天台僧、乗因について論じた『徳川時代の異端的宗教 : 戸隠山別当乗因の挑戦と挫折』(岩田書院、 2018年)を著すなど、『大成経』関連の研究を進め、この研究集会を組織した東北大の曽根原理さんの共編で刊行されたのが、

岸本覚・曽根原理編『書物の時代の宗教ー日本近世における神と仏の変遷』【アジア遊学 287】
(勉誠出版、2023年)

であって、この本の「Ⅱ 『大成経』と秘伝の世界」と題する章に関連する論文3本とコラム1本が掲載されています。この「『大成経』と秘伝の世界」の内容は、

佐藤俊晃「禅僧たちの『大成経』受容」

M.M.E.バウンステルス「『大成経』の灌伝書・秘伝書の構造とその背景-潮音道海から、依田貞鎮(徧無為)・平繁仲を経て、東嶺円慈への灌伝受容の過程に-」

湯浅佳子「増穂残口と『先代旧事本紀大成経』」

W.J.ボート「コラム:『大成経』研究の勧め」

であって、いずれも『大成経』研究の実績がある人ばかり。佐藤さんは、黄檗宗・曹洞宗・臨済宗の禅僧たちによる『大成経』受容の研究者。この論文では、近世を代表する禅僧たちが『大成経』を信奉し、聖徳太子が片岡で飢えて倒れていた人とあったがそれは実は菩提達磨だったとする中世の伝承を再評価し、禅宗と神道を結びつけたことについて解説しています。

 バウンステルスさんは、ヨーロッパにおける日本研究の拠点の一つであるオランダのライデン大学日本学部の講師であって、近世の神道・儒教・仏教の論争が専門。この論文では、『大成経』を理解するには師から灌頂を受けて秘伝を聞く必要があるとされていたため、それを記した秘密文献の残存状況を報告したものです。

 湯浅さんは、江戸の文学や思想の研究者。『大成経』についてもすぐれた論文も書いており、この論文では、日蓮宗の談義僧から独自の神道説教家となり、従来の権威ある説を批判して大胆な神道説を唱えた増穂残口が、吉田神道の影響のもとで『大成経』を利用して神道解説の通俗書を著し、禁書とされていた『大成経』の説を民間に普及させたことを論じています。

 ボートさんはライデン大学日本学部の名誉教授であって、近世思想史の研究者です。ボートさんが書いているコラムについては、後で紹介します。

 ライデン大学のお二人が日本に来られることになったので、この研究集会が開催されたのです。ですから、これらを読めば、現在における『大成経』研究の状況がある程度、分かります。

 海外の研究者が2人も書いているのが興味を引くでしょうが、実は、河野省三『旧事大成経に関する研究』(芸苑社、1952年)以後、『大成経』に関して1冊、本を書いているのは、留学して東大大学院で宗教学を学んだこともあるアメリカのブラウン大学にいるアヴェリイ・モローさんが2014年に刊行した、

 
この本だけなんです(超古代史扱い風な邦訳あり)。こういうことは時々起こります。モローさんに関しては、8月にベルギーのゲント大学で開催されたEAJS(ヨーロッパ日本学教会)大会での「近代の聖徳太子」パネルで私が『五憲法』の受容の発表をした際(こちら)、挨拶されて初めて話しました。
 
 上記の「『大成経』と秘伝の世界」の論文はいずれも有益ですが、最後に、『大成経』そのものの研究の勧めを説いたボートさんのコラムを紹介しておきます。というのは、『大成経』の受容については、これまである程度研究が進められているものの、『大成経』そのものの研究は遅れているからです。
 
 ボートさんはまず、六国史など日本の正史は、中国の史書と違って列伝がないのが普通であるのに、『大成経』72巻は、中国の正史の紀伝体を思わせる形式になっているのが珍しいと指摘します。
 
 さて、9世紀頃の成立であって『大成経』が受け継いでいる『先代旧事紀』では、宇宙の起源の話から始まっているのに対し、『大成経』の「神代本紀」では、いきなり無生始天神である「天祖天譲日天先霧地譲月地先霧皇尊」の説明で始まります。
 
 ボートさんは、『大成経』が神以前に「元気」が存在したとする説を批判しているのは、宋代儒学の世界観を否定するものであると指摘します。宋学では神を死んだ人の気として説明しますが、『大成経』では、神は生きており、個性をもって活動する存在であることが強調されるのです。
 
 ボートさんは、『大成経』が1670年から79年の間に何度か印刷され、話題になったことについて簡単に説明したのち、『大成経』についてはいろいろな観点からの研究が可能であり、また必要であることを論じます。
 
 つまり、近世思想史の一面としての儒仏神に関する論争の例として、あるいは、古代・中世の史書や神道書以来の思想展開の例として、また、『大成経』以後の文学や思想に対する影響の歴史についても検討する必要があるとするのです。
 
 作者については諸説をあげつつ、いずれも推測に留まるとします。そして、江戸時代には、誰が書いたということより、どのテキストが公となったかが問題にされたとし、独自の神道家であって『大成経』を尊崇した徧無為が、最初に木活字で刊行された鷦鷯本、そして高野(山)本、長野本を区別したことについて述べ、いずれも不明な点が多いとします。
 
 そして、このように、『大成経』は謎が多いからこそ、多くの人が研究に参加するよう希望してしめくくっています。研究の視点として、あと一つ加えるなら、聖徳太子信仰の展開の一例ということですね。
 
 私は来秋刊行予定の某学会の論文集に、宋代に流行した儒仏道の三教一致説が日本でいかにして『大成経』が説いている儒仏神の三教一致説になったかについて論文を書くことになりました。あるいは、聖徳太子関連の別な論文集に、もう一本、『五憲法』関連で論文を書くかもしれません。
 
 いずれにしても、『大成経』『五憲法』研究を進めていきます。また同時に、これらを真作として持ち上げる困った人たちを批判してゆくことにします。
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