前回の拙論「三経義疏の語法」は、紙数の制限により、ごく簡単な紹介しかできませんでした。そこで、補足の論文を書くことにしました。学部の論集の締め切りは今月30日ですので、授業と卒論指導の合間に、あと2日で完成させないといけません(刊行は12月?)。このため、この1週間はいつもながらの泥縄生活となっています。メモをもとにまとめ始めたところ、驚いたのは、『勝鬘経義疏』の冒頭部分は、これまで考えていた以上に倭習だらけだったことです。
金戸守氏の論文、「勝鬘経義疏表現の問題点」(『聖徳太子研究』2号、1966年5月)は、題名が示すように「即」などの誤用を指摘したものですが、四天王寺が経営する大学の教員であって、聖徳太子絶讃派の一人であった金戸氏は、『勝鬘経義疏』の序について「六朝四六駢儷体の大文章である」と評し、「玉のような響きのある文字で」云々とほめたたえています。
そうでしょうかね。「即」の用法を間違うような著者が、完璧な四六駢儷体の文章を書けるはずがないと考えるのが常識ではないでしょうか。思想として意義があることと、文章が古典漢文の規範にのっとって書かれているかどうかは、まったく別な話です。私は三経義疏はかなり特色のある注釈だと考えていますが、「まことに仰ぐべく誦すべき透徹した結晶体のような感じがある」などと言われると、とてもついていけません。
文法の間違いもありますし、対句の構成も不十分、おまけに口語が混じってます。2度出てくる接続詞的な「所以」がそうです。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅雙樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす」などとなっていれば美文と言えるでしょうが、「諸行無常の響きあり。だから、娑羅雙樹の花の色……。だから……」などとなっていたら、どうでしょう。こうした注釈は、講義のためのノートや講義の筆録を整えたものが多いため、経典解釈の部分に口語が混じるのであれば、中国の注釈にもよく見られることですが、序は違います。これは皆な苦心して美文に仕立てるものです。
『勝鬘経義疏』が中国撰述かどうかについては、藤枝晃先生以来、大論争がなされてきましたが、あれこれ論ずるまでもなく、原文冒頭の数十行を丁寧に読めば結論は簡単に出たはずです。日本史の分野で中国撰述説が主流となったのは、漢文の原文を読まず、意味が通りやすいように工夫された訓読文しか読んでない人がいかに多かったか(あるいは、それすら読んでいなかったか)を示すものですね。原文で読んだとしても、四天王寺の会本などであれば、訓点がついていますので、実際には訓読文を読んでいるのと同じですけど……。
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