聖徳太子研究の最前線

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天皇の語が用いられた時代と背景:関根淳「天皇号成立の研究史」

2020年09月15日 | 論文・研究書紹介
 聖徳太子関連の資料は真偽論争があるものばかりですが、論点の一つは「天皇」という語です。

 法隆寺金堂の薬師三尊像銘は推古天皇を指して「大王天皇」「小治田大宮治天下大王天皇」と呼び、「天寿国繍帳」は欽明天皇を「斯帰斯麻宮治天下天皇」「斯帰斯麻天皇」、推古天皇を「畏天皇」「天皇」と呼んでおり、『日本書紀』推古16年に小野妹子を隋に派遣した際の国書とされるものの冒頭には「東天皇敬白西皇帝」の句が見えます。これらについては盛んな論争がなされ、野中寺弥勒菩薩像銘に見える「中宮天皇」の語についても議論がありました。

 これらの資料が真作であれば、天皇号はその時期から用いられていたことになり、逆に、天皇号がこの時期に用いられていれば、その資料を偽作とする証拠が一つ減ることになります。かつては天皇号をめぐる論争が盛んであって、これらの資料の真偽がしきりに論じられていましたが、最近は新たな資料の発見などがないせいか、関連する論文はきわめて稀になってしまいました。そうした中で、天皇号に関する近年の研究史を概説し、自分の見解を示したのが、

 関根淳「天皇号成立の研究史」
 (『日本史研究』665号、2018年1月)

です。関根氏は、1990年代のまでの諸説を次のように整理しています。

  A:欽明朝説
  B:推古朝説
  C:孝徳朝説
  D:天智朝説
  E:天武朝説
  F:持統朝説(飛鳥浄御原令説)
  G:文武朝説(大宝律令説)
  α:推古朝始用~大化改新制定説
  β:推古朝始用~天武・持統朝制定説

 この中ではB説とE説が有力だとし、かつて批判されていた推古朝説が再び盛んになる兆しが見られると述べます。そして、これまでの研究史を眺めると、1成立時期、2天皇の由来、3天皇号成立の要因、という3つの論点に分けることができるとし、以下、「天皇の由来」「天皇号成立の要因(一)-律令制と対外関係-」「天皇号成立の要因(二)-近年の天智朝説と段階成立説」という三節に分けて論じていきます。

 「天皇の由来」では、まず、津田左右吉に始まる道教起源説に対しては、道教の世界観では「天皇」は最高神でないとする下出積世説や、「天皇」の語は道教以外の文献にも見られるとする指摘などを紹介します。また、自らの見解として、鑑真渡来の状況が示すように、日本では道士は受けいれてなかったこと、天皇の神格は「天つ神」思想に求めるほかないことなどから、天皇号は道教とは無関係と述べてます。

 ただ、氏は、津田自身が、中国道教由来の語であるならそれを採用した理由を考えるべきだと指摘しており、「我が国で新しい熟語を新作した」可能性にも触れていたことを紹介します。また、氏は、推古朝論者とされがちな津田は、推古朝時には「一部人士の私案に止まつてゐた」天皇号が次第に用いられて公式の称号となったとも述べており、実際には始用説であったことに注意をうながしています。津田はいろいろな可能性を考慮しており、単純な道教起源論者、推古朝説論者とみなすことはできないのです。

 次に「天皇号成立の要因(一)-律令制と対外関係-」では、天皇制と律令制は不可分であるとし、近江令・飛鳥浄御原令・大宝律令・養老律令という4つの段階のどこで天皇という称号が確立したかに関する諸説について説いていきます。そして、新羅との関係に注意する諸説についても論評した後、近江令での成立の可能性も認めつつ、飛鳥浄御原令の方が蓋然性が高いとします。

 最後の「天皇号成立の要因(二)-近年の天智朝説と段階成立説-」では、国家的な敗北を喫した天智天皇を「天皇=神」とすることは考えにくいとし、また、段階的成立説にも疑問を呈します。君主に神格性を付与するのは画期的なことであるため、天皇という語がまず出来て、後に段階的に律令制が規定するような神格性を持つようになったとするのは無理であり、天皇の名・概念は、関連する儀礼や法制の整備と連動して定められたはずだからです。

 そこで、「おわりに」では、以上の検討結果をまとめ、大きな変革をなしとげた天武朝に成立したとする説が総合的に見て有利であるとします。ただ、野中寺弥勒像銘など、「天皇」の語が見える天武朝以前とされる文物を天武朝以後の作と証明しなくてはならないため、慎重な姿勢が求められるとしています。

 以上のように手堅い論調となっており、有益です。ただ、森田悌氏の『推古朝と聖徳太子』(岩田書店、2005年)が、律令に基づく「皇后」「皇太子」などは「こうごう」「こうたいし」であって「皇」は漢音で発音されているのに対し、「天皇」は四天王などと同様、「てん・おう→てんのう」であって「皇」は呉音で発音されており、これは古い時代の称号である証拠としていることにも触れてほしかったですね。森田氏のこの指摘は、推古朝成立説の論証とはなりませんが、天皇号は律令以前の成立であることを示す重要なものであり、無視できない提言と思われます。

 また、隋への「東天皇」国書を除けば、天皇の語が見える古い時代の資料は、すべて仏教関連資料であることにも注意すべきでしょう。インドと中国の周辺国家は、仏教の導入とともに国内体制の変革を進めている場合が多いですから。