胃が不快、痛い、苦しい、辛い

2021年06月15日 | 苦痛の価値論
2-1-2-1. 胃が不快、痛い、苦しい、辛い  
 「胃が不快だ」というのは、痛みがあるような、ないような軽度の不調にいうことであろう。胸やけがする等、故障気味の胃の状態を感じる軽い苦痛であろう。日頃は、胃について感じるものは何もない。調子がよくても、絶好調であっても、快は感じない。だが、故障・損傷になると、胃の方から苦情が出て、少しのものでも意識にのぼってくることになる。その軽い若干の不調の状態を感じるようなレベルになるのが、「不快」であろう。  
 「胃が痛い」というと、胃潰瘍など本格的な損傷のありそうな苦痛になる。胃の表面に痛覚があるのではなかろうが、胃をめぐっての感覚的な痛みで、痛いのが胃という部位にあることの感じられるものである。痛み方は、多様である。胃の損傷の痛み、痙攣しての痛み、あるいは、精神的なものが胃の痛みになったものとかに応じて、刺すような痛みとか重苦しい痛み等になる。あるいは、健康な胃が空腹で苦情を言っての、どちらかというと心地よさを精神が感じうるような痛みもあって多彩である。
 「胃が苦しい」ともいう。食べすぎて「胃が苦しい」のは、胃が正常には機能しにくくなり、調子がくるい、くるしいというのであろう。おいしいものへの欲求はあるのに、胃に食べ物を詰め込みすぎて、胃がその欲求・思いを受け付けず、その生動性が機能しがたくなっている状態であろう(過食の反対の空腹の苦痛は、「苦しい」とはいわない。胃が健やかで活発な状態での空腹においては、食物の不充足・欠損に特有の「痛み」を感じる)。あるいは、胃の病的な不調で「胃が苦しい」という場合、胃の本来的な生動性が機能しがたくなっていて、「重苦しい」とか「むかむかして苦しい」ということで、調子がくるっていて、くるしいという状態であろう。
 「胃が辛い」という場合は、「痛い」というのとちがい、その辛さは、もっぱら、生主体のこの「私」において感じる。いまの私の辛さは、胃に起因すると。痛みや苦しさがつのり、耐えがたいほどになって、ぎりぎりで、へこたれそうで、半分、敗北・降参といった感じになった悲しみの契機をもった苦・痛になろうか。