我慢するよりは、楽に生きる方が賢明かも

2017年12月15日 | 忍耐論1(忍耐の倫理的な位置)

1-4-7. 我慢するよりは、楽に生きる方が賢明かも
 忍耐は、苦痛の甘受で、苦痛に無抵抗になり、なんでもないかのようにして耐える。周囲からは、忍耐は見えにくいことになる。平気ならと、周囲は、ますます我慢を強いるようなことにもなりかねない。
 苦痛を受け入れるのは、目的実現にそれ以外の手段がないとか、その苦痛を受け入れる方が大きな苦痛や犠牲を避けられるとか、稀有の価値が獲得できるとかの、犠牲に見合う価値があるときに限るべきであろう。忍耐には、「無駄骨」「骨折り損のくたびれもうけ」ということがしばしば結果する。愚かしい忍耐、有害な忍耐、犯罪のための邪悪な忍耐もある。自身の忍耐がどういう価値をもっているのか、よく考えてしないと、自身を犠牲にするだけではなく、周囲にも迷惑をかける。
 せっかくの苦痛、自身の損傷の犠牲を払っての辛抱である。限りのある生のことであり、大きな目的のためにとっておかないと、いざというところでは、もう消耗してしまって早々に忍耐を断念するようなことになりかねない。忍耐、苦痛の甘受は、どこまでも手段である。目的は、価値あるものの獲得である。楽に目的を実現できる道があるのなら、それを選択し、犠牲・苦痛甘受の忍耐は、その先のより大切な不可避のことのためにとっておくべきであろう。

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