忍耐の苦痛は、忍耐(意志)自体の辛さも加わった苦痛

2020年09月22日 | 苦痛の価値論
1-1-3-4. 忍耐の苦痛は、忍耐(意志)自体の辛さも加わった苦痛 
 苦痛を忍耐するのだが、忍耐するという構え自体も、さらに、苦となって、辛さをます。「忍耐は、つらい」という。忍耐の対象は、辛さ・苦痛になるが、さらに、その忍耐すること自体が、その意志が、辛いもので苦痛になるということであろう。忍耐は、苦痛という拒否したいものを、あえて自身の感性に抗して受け入れる。身体損傷等の苦痛を受け入れる。さらに、それから逃げようとする衝動を抑止するから、この抑止の意志が辛いことになる。尿意の忍耐では、尿を急かせる苦痛があり、これに耐えるのだが、さらに、耐えるといっても、どこをどう抑制したらいいのか、尿を抑止する随意筋が不分明で意志は種々試みて大汗をかく。そのいらだたしさ、焦燥に耐える。尿意自体の苦痛とは別の苦痛である。平静を装ったりもすれば、偽りの外面を作る苦痛も加わってくる。
 「耐えがたきを耐え」「忍びがたきを忍ぶ」という。「耐えがたき」もの、「忍びがたき」ものとは、忍耐が対象とする苦痛・辛苦である。それを意志が「耐え」「忍ぶ」。この耐え忍ぶ意志の営為自体が、さらに、辛く、苦しいものになる。忍耐し始めると、辛さは増してくることが多いから(ものによっては慣れて苦痛でなく平気にあることもあるが)、この増大する苦痛・辛苦を一層強く耐えるという必要が生じる。一層「耐えがたき」「忍びがたき」ものとなる。かつ、これを耐える意志自体も、より一層力んで集中していく。おそらく、辛さがましてくると、もう諦めようと忍耐の断念を思うようにもなってくる。その弱気を打ち消して意志を堅固に持ち続け、「耐え」「忍ぶ」意志力の貫徹が求められる。
 禁煙は、辛い。忍耐がいる。それは、禁断症状の苦痛に耐えることである。中毒しての大きな喫煙欲の不充足の苦痛に耐える。かつ、そういうことを持続させるために意志が種々の方法をもって苦労をしていくことになる。気を抜くと喫煙欲が顔を出し、屁理屈をもって喫煙へと向かおうとする。それを意志は、抑えて、喫煙欲自体が消滅するまで、禁煙を持続させていく。喫煙欲求の不充足の苦痛は、ほんの2,30分もすれば、消えていく。だが、禁煙を遂行する意志は、喫煙欲が生じないようにと、注意し工夫をして、アメをなめてみたり、壁に禁煙中との張り紙をしてみたりと、喫煙欲が消滅するまで、その煩わしさ・辛さにずっと耐えていく。
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