苦痛は、ときに快を際立たせる価値をもつ

2023年12月05日 | 苦痛の価値論
3-7. 苦痛は、ときに快を際立たせる価値をもつ   
 苦痛・不快は、快を際立たせるために使われることがある。甘さを際立たせるために塩をつかう。美味をしっかりと出すために、それ自体は不快な苦味や酸味を加える。苦味、酸味は、それら自体は、不快なもので、強ければ苦痛となる。だが、その不快な酸味などをほどほどに感じる場合は、同時的に進行している美味が際立つ。その不快・苦痛と対比して快楽が強調されて意識されるのであろう。さらに、不快な苦みや酸味を甘みにミックスすると独特の美味(快)ともなる。
 逆に、不快な味わいが美味のものとの比較で強く感じられる場合もある。甘い食べ物と酸っぱいものとでは、食べる時、酸っぱいものを先にした方がいいという。甘味があったあとに、酸味がくると、この酸味が強く感じられ不快となる。逆であれば、酸味が甘味を引き立ててより美味しくさせる。美味しい物と不味いもの一般について、これはいえる。美味しいものを食べたあとに不味いものを食べるとそのまずさが際立つ。快が不快・苦痛を際立たせる。不味くても比較なしなら、食糧不足の時代にはよくあったことだが、空腹時だと満足できたことである。そして、のちに、美味と言われるものを口にすれば、比較して、美味が強調される。苦痛が快を際立たせる。
 寒くて苦痛のとき、暖かな部屋に入ると、快適である。寒さの不快感の残っている間、あるいは、暖かさに慣れて快でなくなるまでの間、寒さの不快感は、暖かさへの快を感じさせる。だが、暖かさを感じていても、そのことが長くなり当たり前のことになって、それが寒さの不快刺激と対立的に意識に上らない状態になっていると、快も消失する。反対に、暖かい快適な部屋から寒いところへ出ると、その寒さの苦痛が強く感じられる。対立する快不快の感情は、その対立する感情の残像があるかぎりでは、現に感じている快不快の感情をより際立たせることになる。
 精神的レベルの感情においても、対立する快不快の感情が相互を際立たせることがあろう。絶望は希望を際立たせる。戦争などの悲惨な状態で絶望的になっているときは、小さな希望でも、際立ってくる。喜び・悲しみも、並んでいたら相互を際立たせる。おみくじには凶が入れてある。みんな大吉が出るようにしていたのでは、喜びは薄れる。凶を引いたひとを見れば大吉の喜びは大きくなる。逆の凶を引いたひとも、みんなが凶ならば悲しさはさして大きくもならないであろうが、吉を引いた者を見たら、自身の凶を一層悲しく思うことになろう。