浦島と山幸 1.今浦島

2020年03月03日 | 昔話の異時間・異世界-浦島太郎と山幸彦-
1.浦島と山幸     
【1-1.今浦島】昔話で時間の異常さを語る話といえば、日本では何といっても「浦島太郎」であろう。竜宮へ行って、ほんのわずかの間留守にしただけなのに、故郷に帰ってみると300年もたっており、持ち帰った玉手箱をあけて、たちまち白髪の老人になった、という話である。    
 現実にも、「今浦島」と称される奇異な時間体験をすることがある。たとえば、山中に孤立して社会から隔絶して生きのびていた者が、何年か後に元の社会にもどったとき、あるいは、外国に長く留まって音信不通だった者が、故郷に帰ったとき、言われる。その隔絶の間は、もとの社会の時間は停止状態にあり、故郷の記憶は、出立時のままにとどまっていて、突然、何年かすぎた後の時をきざんでいるところに接続されるのである。かれのこころのうちにある故郷は、昨日までは寒村だったのに、今日は突如、華やかな町にと変わる(これは、故郷のひとにも同様で、昨日までの青年が、突然、今日は、中年の「今浦島」として現れるのである)。 
 故郷を旅立つときをもって、故郷の時間は当人のうちでは停止した状態になる。記憶されるものは、そのときでストップする。以後は、なにも記憶されることがなければ、時間的経過もないままになる。帰ったときには、何年も前の記憶が直前のこと・最新のものとして、その現在へと直結される。旅立ちのとき手を振ってくれた幼稚園児が、したがって帰郷時に予期した、その翌日の幼稚園児が、予期を覆し奇怪にも突如、中学生となって現れるのである。自分には昨日の今日という、ほんのわずかな期間のことなのに、故郷は、知らぬ間に、自分を疎外したかたちで、長大な時間を展開していたと感じることになる。浦島太郎が時間的に異常な体験をしたという話は、遠くの世界へと長旅をしたものが故郷に帰ったときにいだく、ごく普通の異時間体験になるといって良いであろう。
 10年間、故郷を離れていてそのあと帰ったとして、帰郷した時に抱く時間感覚の奇怪さは、故郷は昨日の今日の感じで1日か、わずかの日が経っているだけと自分では感じているのに、目の前の者たちは、10年の経過を思わせるような変貌をしていることである。奇怪・奇異を感じるのは、自分の感じている1日の方にではなく(冷静に反省してみれば、この1日の方がおかしいのではあるが)、突如変貌して現れた故郷の方である。知らぬ間に、故郷が10年の時間を思わせるように変貌していることである。そして、その奇怪な10年の方を、やがて、真実とみなさざるを得ないと考えだしても行く。
 旅に出て、その後何年かして帰郷したとき、自身は昨日の今日の感じで故郷に接しその海山は同じ姿を見せているのに、知り合いは、突然に、何年も年取った姿で現れる。ほんのわずかの留守の間に、魔法でも使ったかのように、奇怪にも、大きく変貌した姿を見せるのである。その変貌の大きさへの驚きは、その年取らせている年月を誇張して言い表わすことへと誘う。それを誇張したのが、浦島太郎の話になるのであろう。しかし、変貌の大きさは、自分の旅の長さがもとになるから、誇張するとしても、留守にした期間が5年なら、せいぜい10年ぐらいにとどまろう。故郷の人たちにも、旅をして帰った者はその年月分、年取って現れるのである。相互の間で、誇張は誇張と分かることで、ほかの事情(自分たちの子供の成長など)との整合性をもたせるためにも、5年を50年などと過大に表現することは、できないであろう。
 しかし、浦島説話は、300年と表現することが多い。そこまでの誇張ができるには、別の事情がなくてはならないであろう。誇張しても、それが指摘され「そんなには経ってなかろう」と反省を促す者がいなければいいのである。つまり、知った者が全員いなくなっておれば、浦島は、自分の思いを誇張しても否定されないで済む。浦島説話は、知り合いはみんな死んでしまっていたという。浦島の思いは、誇張されても、これを批判・修正するものがない状態になっていたのであり、それが浦島の300年という年数を可能にしているとみなすことができるのではないか。
 月と太陽によって計れる月・日とちがい、かつては、年という時間単位は、旅の中では、持ちにくかったことでもあり、その年数は、あいまいな記憶・想像をもって振り返って算定してみることとなる。自身の年表では、故郷に過ごしたその想い出は年1,2件だが、その異境での旅の間を思い出すと何十倍もの充実した体験の想起となり、長大な時間の経過を思わせる。その長大さの間に、友人もとっくになくなっていて、みんなが自分を置いてきぼりにして、消えてしまっているのである。そのさみしさは、空白の時間をより大きなものに感じさせる。かりに20年の間旅に出ていたのだとしても、友人らが年取っていても生きておれば、「お互い年取ったな」と、その20年を確認しあえる。40年という数で誇張すれば、「そこまでは経っとらんだろう」と否定もされる。だが、皆死んでいなくなっているのである。自分の時間感覚の感じたままが反復されていく。一人さみしく残され疎外された中での想起は、故人となってしまった皆の顔を反復するたびに時間的距離を大きく見せていく。あとを追いかけて行こうにも、到底近づけるものではない遥かな遠い時空へ、あの世にとみんなは旅立っており、その時間的隔たりは、長大に感じられることであろう。
 亡くなった者との時間的距離は、はかりにくい。自分の祖父の死を体験したものが、その亡くなったときからの年月を聞かれても、おそらく、はっきりとは答えられない。亡くなってからは、なんの記憶の更新もなくなるから、時間的距離は、きわめて抽象的になり、あいまいなものになる。その時間的な距離感は、そのとき抱く思いしだいで、大きくも小さくもなろう。「この縁側でよく日向ぼっこしていたな」とその姿を思い浮かべ身近に感じれば、「もう30年にもなるかな」と思い、「不可解な古い方言を使っていた」と距離を感じれば、「60年、いや90年も前になるかな。90年前だと、私は、まだ生まれてなかったか・・」等と思う。あいまいで遥かな昔になろう。浦島は、知った者が全員死んでいてだれとも会えず悲嘆し虚脱感にとらえられていたはずで、その時間距離は、取り返せない深淵をもっての巨大な隔たりとして現れたことであろう。20年前のことでも、茫然自失のもとでは、自分の歳も忘れて、200年ぐらいの長大さに描くことになるかも知れない。
 20年間故郷を留守にしていた間にすべての知り合いが亡くなって自分だけが疎外されてとり残されているとすると、その20年の年月が再会不能の永年の距離を作ったのである。それは、20年の何倍にも感じられることであろう。それをおおげさだと否定する友は、皆亡くなっているのである。浦島説話では、300年経っていたというが、ショッキングな喪失感のもと、その寂寥・疎外感をそこに表現するとしたら、そういう年数にしたくもなろう。目の前の山川をみながら、故郷は昨日の今日という自分の時間感覚を受け入れてくれていると一方で感じつつも、他方で、知っているだれも生き残っていないということをしみじみと反復しつつその時間経過は逆に長大と感じられていく。300年ぐらいは経っていると想定してもおかしくはないであろう。わずかな日の留守が、同時に、長大な300年でもあったという奇怪な二重の時間からなる浦島太郎の異時間体験は、なんとか了解可能なものとして成り立つのではないか。