悪人の勇気は、悪行を支え促進する。

2012年12月08日 | 節制・勇気と正義のちがい・・

1-3. 悪人の勇気は、悪行を支え促進する。
 ヤクザが節制して健康になったからといって、直ちに市民への悪行が大きくなるわけではない。だが、かれらが勇気をもつと、まちがいなく市民は大きな禍いをこうむることになる。ヤクザも、警察や裁判所は怖い。こわいから、大きな危険はさけて、警察に捕まらない程度にと、恐喝もおさえ気味にしている。そのとき、やけっぱちなヤクザの男が「死刑なんか平気だ」と勇敢であったら、かれは、脅しも過激になり実際に殺人事件も起すことになりかねない。勇気が殺人をそそのかすのである。勇気は、ヤクザの悪行を大きなものにしてしまう。
 ヤクザの勇気のみではない。一般市民のもとでも、勇気は、ときに悪を助長する。道ばたで100万円の札束を見つけたとしよう。ねこばばしようかと一瞬魔のさすことがあったとして、これを実行しないで交番にとどけようというのは、良心がうずくこととともに、ばれたときがこわいからである。そこで勇気をだせば、ねこばばしてしまうことになる。臆病ならそういう邪心は自身でおさえつけることになろう。あるいは、不正はいけないと正義感を発動させれば、ねこばばは自制される。だが、勇気は、日ごろ善良な一市民のこころにひそむ悪をそそのかすことになる。
 節制は、とくに食のそれなど、自分の身を健やかにするだけで、社会に直接影響するものではない。しかし、勇気は、周囲の危険なものごとへの大胆な対応として、悪人のそれは、社会に対して直接的に、より大きな害悪をもたらすことになる。