勇気は、可変的である。

2012年09月12日 | 勇気について

5.勇気を出す、勇気を養う。
5-1.勇気は、可変的である。
 「勇気を養う」とはいうが、はたして勇気が養成できるものなのだろうか。「自分は臆病で・・」と思っている者は、臆病とか勇気は生来のもので、どうしようもないと思いがちである。
 しかし、少なくとも、勇気が、固定はしておらず、変化しうるものであることは、日々経験することであろう。酒でも飲めば、気が大きくなって、大胆なことができる。脳を少し麻痺させて危険や恐怖に鈍感になると、勇敢になりうる。
 怖いバンジージャンプに挑戦できたら、自分の最高の望みをかなえてもらえるのだとしたら、勇気を出して恐怖を抑制しながらこれを実行するのではないか。日頃は怖くて近づけない猛犬であっても、我が子がかまれていたら、親は、恐怖心など吹き飛ばして猛然とこの犬に突っかかっていくのではないか。おそらく多くのひとは、自身もびっくりするような勇気を、必死の場では、出す。「勇気がない」のではなく、「勇気を出す」ことにブレーキがかかっているというべきかもしれない。
 高所を怖がり、猛犬を怖がるのは、危険だからである。ひごろ臆してそれに近づかないのは、賢明なことである。問題は、過度に恐怖してしまうことであろうが、少なくとも、恐怖とか勇気とかは、大いに可変的である。窮すれば勇敢に成り変る。工夫し、経験を積めば、自分のうちにある臆病ぐらいは自分でなんとかできるのではないか。