節制の定義の拡大

2010年10月02日 | 節制の対象は、快楽か?(節制論2)
4-3-2. 特殊現代的な快楽を踏まえての、節制の定義の拡大
 古典的には節制は、食と性の欲求・快楽を抑制するだけでよかった。しかし、現代は、一般的に生活に余裕ができ、賭け事や遊びにのめりこみ、その快楽の虜囚になるものが少なからず出てきていて、ここでも節制が必要となっている。
 各種の快楽が簡単に得られる現代社会では、節制は、古典的な食と性への節制を超えた領域をもつようになっている。現代向きに節制の定義をするとしたら、その領域を少し広げる必要があるように思われる。つぎのように定義できるのではないか。

 「節制とは、快そのものを目的とする欲求(食欲・性欲、或いは麻薬とか賭け事・遊び等の欲求)への惑溺で、生の健全さが損なわれるような時に、その欲求を理性でもって適正なものにと抑制して行くことである。」

 麻薬が快楽を目的にしていることはいうまでもないが、賭け事やゲームも、喜びや満足の快感をなによりの目的にする。賭け事とちがって、現実のなかでの価値物獲得の営為では、苦労・苦難が不可避で、かつ、獲得がなっても快の感情は生じないかも知れない。だが、快楽追求のゲームや賭け事では、その現実的な苦労・不快の過程なしで、果実の快楽のみを得たり、虚構のうちでの戦いの戯れにここちよく陶酔する。仕事とちがい、快楽なし(不快)では、遊びは成り立たない。
 食や性にかぎらず、遊び等でも、快楽には魅了され、これにのめりこみやすい。その快楽追求が生の健やかさを損なうまでになった場合、その手前でこれを抑制して節制をこころがけることがいるようになる。