goo blog サービス終了のお知らせ 

「老いて死なぬは、悪なり」といいますから、そろそろ逝かねばならないのですが・・・

このブログ廃止で、以下に移る予定
https://yoshikikondo2.livedoor.blog/

欲とは?

2010年04月17日 | 節制論
2. 欲とは?
 欲には、欲望・欲求、意欲・貪欲など色々あるが、さしあたり、欲一般、「欲しい」「欲する」とは、次のようなステップ・プロセスをもったものになるのではないか。欲は、a)価値ある物事を見出してそれの自身への欠如を意識し、b)これを我がものにしたり、思い通りにするために、c)心をよせ、価値享受を想像しつつ、d)享受や取得を現実化する積極的な気持・心構えをもつことであると。
「ケーキが欲しい」という場合、a)まず、ケーキが好ましい価値物として念頭に置かれ、それが自分に欠如していることを意識する。b)そのケーキを前に、その欠如をなくしたい、つまり「買いたい」「食べたい」と思い、c) 観念的に身近にひきよせ、そのとろけそうな甘さに想像をはせつつ、d)ケーキを取得したり口に入れるための具体的な行為にと動く心構えをもつのである。
食の節制は、単純明快で「腹八分」にすれば良いのだが、美味しいものの誘惑に満ち満ちている現代社会では、そう簡単ではない。欲求のプロセスを反省してみて、自分の場合、どのレベルを制すれば過食にまで至らないですむのか、欲求の展開過程を各自、振り返って分析しておくことがあって良いのではないか。

節制では、何を節するのか-欲か快か。

2010年04月17日 | 節制論
1. 欲望か、快楽か。
 節制は、欲を節するのであろうか、快を節するのであろうか。節制は、なんらかの形で欲望・欲求を制限する。だが、放埓な快楽主義を否定するもので、快楽を節しているともいえる。
 食欲は、おいしさの快への欲求であり、快がなく不快になれば、食欲は消える。快が欲求を可能にする。逆に、食欲があるから、おいしいという快は可能になり、快は、欲によっているのである。快と欲は、相関的である。だが、欲と快は、別ものでもある。欲自体は不満足状態にあって快ではなく不快であり、他方、快は、もう充足していてそのことでの欲をいだいていない。しかも、欲が快を求めることにならない場合もある。所有欲の関心は、所有にあり、快(喜び)は、目的にならない。快が伴うことがなくても、所有を欲する。
 節制は、一体、欲を制すべきなのか、快を制すべきなのか。あるいは、両方を制することが求められるのか。
そもそも、欲とは何で、快とは何になるのか。