3-4-6-3. 動物は苦痛を持続させないとかいう
犬などの動物は、大けがをしてもそんなに長く痛む様子ではないという。苦痛は、損傷を軽視せず適切に処置すれば、それで役割を終わる。痛みは、その間つづけばいいことで、それ以上に長く痛むのは、その生を余計に苦しめてダメージを大きくするだけである。ひとによくみられる傷口に塩をすりこむような苦痛の在り方は、動物ではしてないのかも知れない。
ひとは、無駄に長々と苦痛を感じさせられる。創造主は、ひとには、過酷なのであろうか。それとも、もっと長く損傷対策をとれというのであろうか。動物には、損傷があってもその損傷に気づいても、それ以上になにかできるわけではない。ということで無駄に苦しめないように苦痛も早々に終わりにするのであろう。ひとでも内臓は、痛んでもどうできることでもなかったからであろうか、痛覚を原則的にもっていない。だが、皮膚などは、ひとならば、苦痛が続けば対処をそれなりに続けて行うので、苦痛を持続させるのは、意味がある。犬ならどうしようもないからであろう、痛まないか、適当に気づかせてあとは痛みはなくなっているように見える。自然は、あまり無意味なことはしないのであろう。ひとのばあい、歯痛でも何日も痛む。その痛みを早々になくしたら、おそらく虫歯の治療はしないことになる。長くいつまでも持続するので、痛みに根負けして、最後は、自分で抜歯もするし、昨今なら歯の治療にと歯医者の門をくぐることになる。苦痛があればこそ、である。
もっとも、ひとでも、大きな損傷が生じている場面では、意外に激痛は感じていないのかも知れない。ライオンに襲われた人が回顧していたものに、かまれるまでは、恐怖で耐えがたかったが、かまれ始めたらもうなんともなく、苦痛ではなかったと書いていた。私の何回かの事故体験でも、痛みはあまり記憶に残っていない。最近、熊に食べられて死んだ若い女性が、携帯で母親に、いま熊に食べられていると電話して、はじめは痛いと言っていたけれども、しだいに、かじられているのはわかるが、もう痛みなどないと言っていたようである。ひとは、文明の過保護状態にあるときは痛みを気にすることで、これを持続させるが、荒っぽい自然状態においては、そんなに苦痛は持続しないものなのかもしれない。気にする余裕のない場合、大事故に遭遇したときなど、動物と同じように、ひとでも痛み自体はあまり問題にならないように思われる。
犬などの動物は、大けがをしてもそんなに長く痛む様子ではないという。苦痛は、損傷を軽視せず適切に処置すれば、それで役割を終わる。痛みは、その間つづけばいいことで、それ以上に長く痛むのは、その生を余計に苦しめてダメージを大きくするだけである。ひとによくみられる傷口に塩をすりこむような苦痛の在り方は、動物ではしてないのかも知れない。
ひとは、無駄に長々と苦痛を感じさせられる。創造主は、ひとには、過酷なのであろうか。それとも、もっと長く損傷対策をとれというのであろうか。動物には、損傷があってもその損傷に気づいても、それ以上になにかできるわけではない。ということで無駄に苦しめないように苦痛も早々に終わりにするのであろう。ひとでも内臓は、痛んでもどうできることでもなかったからであろうか、痛覚を原則的にもっていない。だが、皮膚などは、ひとならば、苦痛が続けば対処をそれなりに続けて行うので、苦痛を持続させるのは、意味がある。犬ならどうしようもないからであろう、痛まないか、適当に気づかせてあとは痛みはなくなっているように見える。自然は、あまり無意味なことはしないのであろう。ひとのばあい、歯痛でも何日も痛む。その痛みを早々になくしたら、おそらく虫歯の治療はしないことになる。長くいつまでも持続するので、痛みに根負けして、最後は、自分で抜歯もするし、昨今なら歯の治療にと歯医者の門をくぐることになる。苦痛があればこそ、である。
もっとも、ひとでも、大きな損傷が生じている場面では、意外に激痛は感じていないのかも知れない。ライオンに襲われた人が回顧していたものに、かまれるまでは、恐怖で耐えがたかったが、かまれ始めたらもうなんともなく、苦痛ではなかったと書いていた。私の何回かの事故体験でも、痛みはあまり記憶に残っていない。最近、熊に食べられて死んだ若い女性が、携帯で母親に、いま熊に食べられていると電話して、はじめは痛いと言っていたけれども、しだいに、かじられているのはわかるが、もう痛みなどないと言っていたようである。ひとは、文明の過保護状態にあるときは痛みを気にすることで、これを持続させるが、荒っぽい自然状態においては、そんなに苦痛は持続しないものなのかもしれない。気にする余裕のない場合、大事故に遭遇したときなど、動物と同じように、ひとでも痛み自体はあまり問題にならないように思われる。