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「老いて死なぬは、悪なり」といいますから、そろそろ逝かねばならないのですが・・・

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食べ始めて食欲と正面対決

2016年06月01日 | 中庸としての節制(節制論5)

5-3-4-2. 食べ始めて食欲と正面対決
 立派な計画をたてても、現に食べる場面で抑制できるのでなくては、節制は実現しない。食をすすめる中心には美味しさがある。この快楽を満たさないと食は満足できない。おいしいから過食する。そのおいしいものを過食しないようにするのが節制である。ゆっくり噛んで食べるとか、美味しいものは、一口分を小さくして多くの口数食べられるようにと細工もする。心構えや工夫で満足感は高めることができる。
 腹八分にとどめることが大切で、節制する意志が一番苦労するのは、ここであろう。八分で済むようになると節制自体がやがて不要となる。

5-3-4-3. 食材選択に多くのダイエット法が言われるが、基本は、粗食であろう
 ダイエットの方法ということでは、バナナダイエット、りんごダイエットなどそれこそ万と方法が言われている。カロリーの低い美味の食材や、お腹の持ちのいいものを挙げるのが普通である。内容が奇抜で、追随者においては、うまくいかないことが多い。
 摂取カロリー量を小さくというのなら、粗食が基本であろう。美味のものはカロリーの高いのが普通で、粗食になるものは多くがカロリーは低い。栄養バランスの点でも粗食の方が偏りがなくてすむ。何といっても、美味の少ない粗食は、過食しない。

5-3-4-4. 手間・ひまをかける、手間かけダイエット
 快楽享受に手間をかけ面倒なことにする手もある。鶏肉を食べるのに、鶏の羽根を毟ることからはじめて手間をかけるやり方をとれば、「作る(=食べる)のは面倒!」、となろう。食べる間も、手間なように殻つきのままのシャコ・蟹や、種子の多いざくろやアケビのような果物を用意すれば、頬が落ちるほど美味しくても、馬食するのは簡単ではない。たくさん食べても、くたびれて過食まではいかない。終わったら必ず片付け・歯磨きするようにすれば、食べることへのブレーキとなる。

5-3-4-5. 最後は、これで終わりという儀式
 美味しい楽しい食事は、いつまでもつづけていたい。だらだらと食べることで過食は進む。早めに終了できる工夫が求められる。食事の終わりを明確にし、「終わりだ」という気にすることがいる。少しずつ料理を出すときは、これが頂点で、これで終わりだという食の出し方も考えている。デザートは、終わりの駄目押しである。あるいは、お茶やコーヒーをいれて、口をすすげば、食後の始末・口内清掃ということになる。

 


食の節制では、入る分を自由に制御し、若干を出る分で調整 

2016年05月31日 | 中庸としての節制(節制論5)

5-3-4. 食の節制では、入る分を自由に制御し、若干を出る分で調整 

 食は、車でいえば、燃料を補給することだが、これは、燃料を蓄える部分とこれを消費する最終の部分にとつながったものである。燃料補給が過多になるのが過食だが、これが快楽でやめにくい。というので、蓄積する部分の性能を悪くしてみたり(胃袋を手術で小さく縛る肥満者がいる)、消費する部分を大きく、つまり、運動してみたりもする。しかし、節制の大原則は、100%自由のきく、入り口で調整することである。出る分は、自由にならないものがほとんどで、自由になる運動での消費などささやかなものである。

 

5-3-4-1. 入る分の、狡知をもっての制御

 食の節制は、食の入り口で行わねばならない。通常は食欲をもって半ば自動的に摂取しているが、胃腸の検査ともなれば簡単に絶食もできる。摂食は、その気になれば、少食も大食も意のままにできる。ただし、快楽享受への欲求は大きく、これを直接抑制することには大きな抵抗がある。理性は、そういう場合、無理をせず、狡知を働かせ、抵抗の少ないところをねらって抑制を企てる。節食は、摂取の量や回数を減らせばいいことだが、回数を日に三食から二食に変える企て自体には、食欲は直接的には抵抗できない。あるいは、小さめの弁当箱にする企てにも抵抗できない。


節制は、不言実行、「コロンブスの卵」である

2016年05月30日 | 中庸としての節制(節制論5)

5-3-3. 節制は、不言実行、「コロンブスの卵」である
 節制は、毎日の若干の気をつけるべき心構えにすぎず、簡単なことである。肥満している者はいう、「自分の太鼓腹を引っ込めることなど簡単だ。過食をやめるだけでいいのだ、いつでもできる」と。喫煙している者もいう、「禁煙など簡単なことだ。毎日通勤中は、やっている。それを延長するだけでいいのだ」と。が、言うはやすく、行なうは難し、である。思うだけでは節制は永遠にできない。節制の要は、その実行、「コロンブスの卵」である。失敗を含めての実行である。

5-3-3-1. 記録は、現実をはっきりさせ、反省もさそう
 体重計は乗るだけで済まさず、記録することである。前日と200グラムちがえば、何を200グラム過食したかと反省を誘われる(体重計は、詳細を計れるものが欲しい)。記録するのは、後のためであると同時に、そのときの自覚のためでもある。減量の度合いの現実を心にとどめることになる。日々の記録は、その都度、反省を誘う。記録していけば、果物(最近の店頭の果物は、ぶどうも梨も巨大で糖度が異常に高く、食欲抑制の渋み・酸味がない)を食べたら翌日確実に体重が増えているとわかったりする。

5-3-3-2. 長期の変化を示し、決断を誘うもの
 お腹周りを示すベルトの穴や、久しぶりの礼服は肥満を反省させる。体重計に毎日のって、少しずつ増える分に「これではいけない」と節食を思うが、美味しいものを前にすると「今日は、ま、いいか」と先延ばしする。その点では、きつくなった衣服は決意させる。ひさしぶりに出したアジャスターつきの喪服が入りにくくなっていることにあわてる。喪服を買い換えるか痩せるか、どちらかだと一大決心を誘われる。アクシデント、チャンスを生かせるかどうかが、しばしば人生の分かれ道になる。

5-3-3-3. 公表、宣言は、客観視と実行へと強制する
 ダイエットの方法に、ウェブのブログへ自分の食事の写真を毎日載せるというのがある。そのことで、自分を客観視でき、肥満の食べ物を自覚できることになる。体重の減量は、どこかへ宣言しておくと、自分の心のうちだけで決意したのとちがい、そう簡単にひきさがるわけにはいかなくなる。禁煙も、自分だけなら、くわえタバコをしながら、前日書いた「禁煙中!」の張り紙を剥がせば、即なかったことにできるが、宣言して、ひとに知られたら、なかったことにはできない。しぶしぶでも節制を続けることにと強制される。


食の節制は、失敗を反省することで、先にすすむ

2016年05月29日 | 中庸としての節制(節制論5)

5-3-2-1. 食の節制は、失敗を反省することで、先にすすむ
 食の節制は、予定通りにはいかない。失敗を反省し、繰り返し挑戦していくのが普通である。食は、日々反復される。食の節制の失敗は、いくらでもやり直しができる。体重が前日より増えていると分かれば、前日の過食が反省される。つぎの日もおいしいものを過食してしまうかもしれない。あきらめないなら、反省・対策がすすむ。間食はやめようというところへと進んでいけるかもしれない。食の節制での敗北は、失敗することではなく失敗しなくなること、節制をやめ反省をやめることである。

5-3-2-2. 情報の鵜呑みはやめ、よく咀嚼し批判的に対処すること
 ダイエットの権威筋から朝食は抜いてはいけない、頭の栄養分となる糖分を朝摂取する必要があるといわれ、その気になる。だが、一日一食主義のひとは、朝食はなしで、昼か夜の一食である。そういう人は、朝は血を消化器官にまわさず、疲れてだらける前に心身をフル回転させて、午前中に主な仕事をするのが普通である。情報は大切だが、鵜呑みにせず、批判的な眼をもって関わっていく必要がある。

5-3-2-3. 欲求の特性や弱点をよく知ること
 理性は、食や性の感性的欲求と対決するが、深慮遠謀をもって、スムースにことを運ばねばならない。食の貪欲などは、食べだしてから出てくるもので、理性は、食べだすその手前では、感性の貪欲の抵抗を受けることなく節制対策を進めていける。一月に何キロやせるかという計画には食欲は関与せず抵抗しない。満腹感は、血糖値しだいなのであれば、早めにこれを高くする食べ方をするとよいのかも知れない。甘いものがなくてはというひとは、一日一回は、それを満たすことがいるであろう。

5-3-2-4. ひとの節制・ダイエットの方法を知って参考にする
 食の節制の仕方は、無数ある。やせの大食いもおれば、水を飲んでも太るひともあるから、誰もが同じやり方でダイエットすることはできない。食の好みも違う。こんにゃくダイエットが効果的だとしても、こんにゃく嫌いの者にはあわないことである。自身が納得できるやり方に関しての失敗や成功の話は、自身の節制のために大いに参考にできる。合理的と思えるものを選び、自分にとっての持続可能な方法を見つけていかねばならない。


まずは、節制に関わる事柄を精確に知ること

2016年05月28日 | 中庸としての節制(節制論5)

5-3-2. まずは、節制に関わる事柄を精確に知ること
 食の節制は、しっかりした知識をもつことからはじめなくてはならない。ゴールまでには、落とし穴もあれば、行き止まりの道もある。これを知らずに猪突猛進したら失敗する。意欲や根性だけでは成功はおぼつかない。知識を大切にし、知恵を働かさねばならない。
 まずは食べ物のことを精確に知っておくことが必要である。渋柿に甘みはない。だが、糖分はたっぷり含まれている。糖類ゼロは糖質ゼロではない。同じ糖、同じ肉でも種類によって体に入っての働きが異なるという。節制する自分の身体の現状をしっかりと知ることも不可欠で、自分に見合った節食の計画・作戦を立てねばならない。