ニセコ高原風だより

ニセコ高原のアコーディオン弾きがお送りする季節のおしらせ。

そもそも大きな地域を!

2009-01-25 05:07:48 | Weblog




昨日、プラスの5℃くらいから,マイナスの11℃くらい迄
一気に下がった。調整のしようがないくらい気温が乱高下する。
風も強く、雪が舞った。
薄いウインドブレーカーを脱いで、急いでダウンを着る。

街迄、焼きたてのパンを3本取りに行ったり、
レッスンの仕込みをしているうちに、
次世代ワン公の写メが娘達から届いた。
3人で、ブリーダーに通っているらしい、
2月の中頃、長女次女で航空機を使っての移送計画を立てている。
まだ,生まれたばかりのラブちゃんは、実に情けない顔をしている。
BLACKチョコ(親は黒とクリーム)のぬいぐるみみたいな奴が
長女に抱かれてこっちを見ていた。
奴ではなく女の子らしい。

コミュニテーがあって、村や町があって、市や県があって、
国がある。

四国くらいの一つの国もあれば、ロシア、中国といった
非常に広大な面積を持つ国もある。
人々は、なるべく自分で住み易い地域に,街に、偏って
生活している。

先日、中国の方に「北京のお達しが、速やかに砂漠の向こうや
         山脈の向こうまで,届くのか?」と聞いてみた。

        「届かないだろう」という答えだった。
    その方は「北京は、民衆の力をしっかり評価している
         (非常に恐れている)」とも答えた。

それ迄、皆、共に稼ぎ、共有し、平等な社会(ユートピア)を実現しようと
闘争を繰り返し、一つのイデオロギーの下で国家が運営されて来た。
非常に閉鎖的でとにかく内に内に人々の目は向けられ、
人々の様子は殆ど外には出なかった。

「自由化」「開放政策」

一度、人々の心の奥にある欲求が解き放たれてしまうと
抑制が効かなくなる。富める者は増々富み、富めない者は
奈落の底迄突き落とされて行く。
過酷な思いを強いられて、辺境な土地を耕作し、僅かな収穫を
余儀なくされた人々の、「平等な社会の実現」は今もあるのだろうか。

救世主のごとく、期待と希望に満ち溢れたかのように報道される
大国の新しい指導者は力を発揮出来るのだろうか。

ターニングポイントは今迄も来ていたのかも知れない。
なかなかスイッチを切り替えられないのも現実だ。
     


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