5月28日、いよいよ本格的な山登り、と言っても登り道が延々と続くだけ、岩山を手を使って登るわけではありません。追い越される度にお互いに「ブェン・カミーノ」と挨拶しあいます。まだフランスなので、ボン・カミーノか。昨夜の宿で若い日本女性と一緒になりました。20代の中頃か。一人でゆっくり歩いているそうで、その後会うことはありませんでした。
一緒に歩く二人は好対照です。O氏は登校拒否児、学校嫌いで管理されるのが嫌いな自由人、一方は校長ですからね。校長と言ってもあまり上から目線は感じない人です。私は?素直な普通の優等生として育ったけれど、子供時代からいつも周りに違和感を感じていました。なぜ今こんなことを書くかと言えば、旅の途中でそれぞれの現在の生き方が現れてぶつかる元になってゆくからです。
3人旅、初めは何とも思わなかったけれど、難しいことになりがちです。今思えば私が一番目立たない人間なので、遠慮がちにふるまえばいいのです。でも個性の強い二人はいずれぶつかります。これはカトリックと現代仏教のぶつかり合いと言えるかもしれません。面白いテーマです。お楽しみに。
今日の道は最頂部で1450メートル、少し下ってロンセスヴァレスの宿に泊まります。ここの宿は元修道院、とても趣があります。
その街のバルに入ったところ、出てきたウェイトレスが日本人でした。この店でアルバイトとして働いているそうです。6,7年前にここに来て、ボランティアとして手伝っていたら、現地の青年と知り合って結婚した、今は子供もいるとのことでした。夫の仕事はもっと山奥の羊飼い、現金収入を得るために夕方までここのバルで働いているとのことでした。このあたり羊があちこちで放牧されています。カミーノの道は線ですが、ピレネーは面です。延々と広がっています。昔「ピレネーの山の男は、いつも一人、雲のなかで・・・・」という歌謡曲がありました。
http://arisada.bglb.jp/spain/music1.html 『ピレネエの山の男』(作曲:古賀政男、作詞:西條八十、 歌唱:岡本敦郎、1955)
こんな歌が以前よくもまあ作られたものです。そんな訳で私にとってロマンティックなイメージがあります。おまけに羊飼いの男、実は学生時代に12,13世紀のキリスト教の異端運動 カタリ派について関心を持ったことがあります。弾圧を受けてピレネーに近い南フランスのモンセギュールの山の砦で最期を迎えます。でもその後もピレネーの山の羊飼いたちの間に残っていたという記録があります。
もちろん今は昔の話、でもそんな男と日本女性が一緒になって暮らしているなんて、驚きです。絵本作家は将来この巡礼について絵本を描こうと思っています。それで次に多分編集者と一緒に来た時に彼女にインタビューをしようと、住所を聞いていました。また子供に自分の絵本を送ると話していました。
その晩街の教会のミサに誘われて生まれて初めて出席しました。集まった人は10人前後、言葉は全く分からず、ただ司祭や信者が歌う聖歌に聞きほれました。終わりごろに出席者がお互いに周りの人と握手したりハグしたりする場面がありました。神の前でお互いが仲間として認め合い親愛の情を示すのでしょう。聖餐は、列に並んだものの勿論受けず、ただノンカトリックと言って頭を下げて祝福だけしてもらいました。初めてのミサは厳かで親しみのこもったものでした。U氏は気分が悪くなったといって途中で出ていきました。
この巡礼の道を歩ける幸せを感じているので、素直に頭を下げることが出来ました。
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