竹と遊ぼう。伊藤千章の日記、

小平市と掛川市の山村を往復して暮らし、マラソン、草花の写真、竹細工、クラフトテープのかご、紙塑人形の写真があります

終戦記念日。

2009-08-16 04:39:49 | 日記

写真は全て家内が作った紙塑人形。
 
8月15日は私にとって重要な日だ。
私の父は昭和19年に出征し、そのまま帰ってこなかった。

岩手の女学校の国語の教師をしていて、
敗色濃厚になった頃に戦争に駆り出された。
「必ず帰ってくる」と母に言い残して出征したのだったが。
 
私は昭和18年11月の生まれだから、
父の顔を全く覚えていない。
 
父は当時33歳、最近子供が生れた今の長男の年齢だ。
私が二人の子供を育てながら石見銀山で竹細工を始めた頃だ。
父親たるもの、母親に協力して子育てに一生懸命の時だ。

 
そんなときに家族と別れ、幼い子供を残して戦争に出かけていった。

戦争って何だろうとよく考える。

そして家族や子供を守る気持ちを捨てさせて、
個人を戦争へと向かわせる国家というものを考える。
 
国家はその成員に安全と安楽を保証するシステムだ。
だが時に国家の危機を救うために、個人に犠牲を強いるシステムでもある。
明治政府の富国強兵策は、まさに国家システムの最高の目標だ。
文明は現代の国家の中に、今までで最高の成果をあげて来た。
 
それを超えるシステムってあるのだろうか。
 
そんなこと竹細工と何の関係がある?
 
あるような気がする。
籠編みは文明以前からの、最も古い文化である。
考古学的遺物としては残りにくいものだが、
縄文時代の籠は表面に漆を塗った、藍胎漆器として残されている。
 
その文化的な伝統は文明の発達の中で消えつつある。
自分の必要なものを自分の手で作ることがどんどん消えてゆくこと、
これってどういう意味を持っているのだろうか。
 


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