竹と遊ぼう。伊藤千章の日記、

小平市と掛川市の山村を往復して暮らし、マラソン、草花の写真、竹細工、クラフトテープのかご、紙塑人形の写真があります

時間をさかのぼって、マレーシアの旅ー3

2009-09-05 21:07:54 | 旅行

華僑が東南アジアに進出して経済を握っているといいます。
でも東南アジア人の故郷はほとんど南中国なんです。

古マレー語族もインドネシア、マレーシア人も、タイ族も
南中国や雲南省から東南アジアに南下しています。

華僑はその現代版なんですね。

昔の東南アジアで人が住める場所は
山間部か海岸部しかなかったようです。

今消滅の危機が叫ばれている熱帯雨林は、
マラリアのような病気の巣だったし、毒蛇や猛獣の住むところでした。

山間部の人々は焼畑をやり、
海岸部の人は漁業で、杭上家屋に住んだり、舟で生活したりしていました。

しかし今は熱帯雨林は切り開かれ、かってはゴムのプランテーション、
今はパーム椰子のプランテーションに化しています。

パンコール島からクアラルンプールに戻る途中、
農村の食堂に寄りました。



そこに集まっていたのは男たちばかり。
マレーシアはイスラム国家ですから禁酒の国です。
男たちは、酒場に集まるようにオートバイでそこに集まって、
甘いコーヒーやお茶を飲んでいるのです。
 


店の親父さんが小麦粉を練ったものを広げて、
あざやかな手つきで薄く延ばしています。
これはロテイ・チャナイ、インド料理でパンみたいなもの。
 

マレーシア語を学んだときに出てきて、何だろうと思っていました。
ここに集まっているのは、プランテーションで働く労働者たちのようです。

漁村や農村を覗いたことが、
東南アジアへの関心を高めるもとになりました。



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