竹と遊ぼう。伊藤千章の日記、

小平市と掛川市の山村を往復して暮らし、マラソン、草花の写真、竹細工、クラフトテープのかご、紙塑人形の写真があります

宮古島100キロマラソン その五 完走

2009-08-04 04:48:44 | マラソン


スタート地点の様子、うえの文化村

マラソンは「うえのドイツ文化村」を5時スタート、
平良から送迎バスに乗って会場に行かなければならない。
近くのバスの止まる場所はホテルアトール、フェーヌカジから歩いて5分だ。

朝3時起床、簡単な食事をしてホテルアトールに行き、送迎バスに乗る。
本当は前日が受付なのだが、市役所で聞いた時、
特に前日に行かなくてもいいようだったので、行かないでしまう。

今にして思えば前夜祭のパーテイがあったのだ。
それに出そこなったのはちょっと残念だった。

1月初め、5時スタートではまだ真暗。
夜が明けるまでには大分時間がかかる。
参加者は200人足らず、小さい大会だ。

私はフルマラソンは30回近く走っているが、
100キロマラソンは初めて。
フルマラソンならキロ6分ペースで走るが、
100キロとなるとそれでは無理、キロ7分ペースを考えていた。

それならイーブンペースで走れば11時間40分、
制限時間は14時間だから、後半ペースが落ちても完走は出来る。

スタートすると早い人たちはどんどん先へ行ってしまう。
私は無理のないペースで走り続ける。
キロ7分はいつもの練習ペースだから走りなれている。

来間島大橋を往復し、時計回りに島を廻る。
池間島大橋を渡って池間島を一周、また橋を渡って狩俣で50キロ、
そこで靴を履き替え、振舞われたお汁粉を飲んで再スタート、
60キロあたりから海岸伝いの道で起伏が多くなってくる。



80キロは東平安名崎、その手前で突然「いとおさーん、頑張ってー」
という応援を受ける。え?誰が?と思えばフェーヌカジの人達だ。
職員も一人ハーフの部に参加し、スタートが東平安名崎、
その応援もかねて来ていたのだ。

私はいつも一人でマラソンに参加しているので、
個人的な応援を受けたことがない。
この応援には感動した。

岬に行く途中スタートしてきたハーフの人達に出会う。
初ハーフの職員もいた。
互いに両手を合わせて、頑張ろうと励ましあう。

90キロあたりから起伏が応えるようになり、
7分を切っていたペースが、7分を割るようになる。
でももう一頑張り、そしてついにゴール、
タイムは11時間50分、ほぼ予想通りだった。



会場で宮古島そば(ラーメンに近い)を食べて、
送迎バスで宿に戻る。
心地よい疲れ、満足すべき一日だった。        続く



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