竹と遊ぼう。伊藤千章の日記、

小平市と掛川市の山村を往復して暮らし、マラソン、草花の写真、竹細工、クラフトテープのかご、紙塑人形の写真があります

被災地支援活動の変化 その1

2012-08-27 08:29:09 | 被災地ボランティア
8月18日から8月21日まで遠野に行って、被災地でかご編み活動をやってきました。
大学生が夏休みに入っているので、まごころネットは大混雑しているかと思ったら、
それ程でもなく、ゆったり寝ることが出来ました。
大震災から間もなく1年半、状況は変ってきています。

今の高田松原、砂浜が消えています。
 
今回は18日が竹駒の下壷仮設住宅の集会所、
19日は長部地区のコミュニティーセンターでかご作りをしました。
下壷仮設の集会所に行く前に、私を現地まで送って行って、かご編み活動を手伝ってくれる陸前高田のコーディネーターの人から、来月からは同じ活動を続けられないという話がありました。
 
まごころネットの活動がボランティアの減少、現地での自主的活動の進展と相俟って、活動の整理縮小傾向にあることは、少し前から目立ってきました。
私の活動も陸前高田ではコーディネーターの個人的な支援の形を取っており、スタッフの人数が減ってきている中で、私のために人員をさくのは難しいのです。

 
9月17日の下壷仮設での活動は連れて行ってもらえることになりましたが、長部地区での活動は無理ということでした。そこで17日の下壷での活動はその日一回で完成するように、朝10時から夕方4時までということにしました。
 
長部には今回で終わりということを話して、作り始めたかごをその後みんなで自主的に出来るように、難しいところを集中してやりました。でも今回で終わりということは私自身遠野に来て初めて知ったので、前もって材料を切ってもらっていたかごは2回で完成させるつもりのかごでした。それを一回で教えてしまうのは全体としては無理でした。みんなも途中で終わりと言う形になったので残念がっていました。
 

まごころネットに戻ってから長部まで送ってもらう形になれないか陸前高田担当のスタッフと交渉し、東京に戻ってから9月だけは17日下壷、18日長部と連れて行ってもらって活動できることになりました。10月以降は私が個人的に直接陸前高田に行って活動することになります。
 
19日に長部に行ったとき、途中で奇跡の一本松のそばに立ち寄って、あたりの写真を撮ることが出来ました。石を積んだだけの急造の堤防の上に立って海を見ると、まだ松の根や倒木が残され、その際まで海水が押し寄せています。

 

かって7万本植わっていた松林は砂浜から少し離れたところにありました。今は地盤沈下して遠浅の海に面した広い砂浜が消えてしまっています。これを見ると盛り土によってもかっての名勝高田松原を復活させることは不可能です。高田の魅力の第一は高田松原だったので、高田の復興の難しさを痛感しました。

奇跡の一本松のそばにあったユースホステル、かって。ここに泊まったことがあります見る影もありません。