竹と遊ぼう。伊藤千章の日記、

小平市と掛川市の山村を往復して暮らし、マラソン、草花の写真、竹細工、クラフトテープのかご、紙塑人形の写真があります

宮古島100キロマラソン完走。

2011-01-18 17:37:15 | マラソン
13日に羽田を発ち宮古島に向かいました。関東は晴れ、富士山を見たいと思って進行方向右側の窓際の席を取ったので、雪をかぶった富士山が良く見えました。
南アルプスも良く見えます。仙丈ヶ岳、北岳、間ノ岳、農鳥岳、千枚、荒川、赤石、聖岳とかって登った3000メートル級の山々が並んでいます。こんな体験は初めてでした。
空港から平良市街まで6キロの道をリュックを背負ってランニング、結構汗をかいてしまいました。
 
14日は生まれて初めてレンタカーを借りて島巡り。バス路線が少ない宮古島ではタクシーかレンタカーしかありません。大神島や伊良部島へは一昨年渡っているので今回はマラソンコースにもなっている島巡りです。途中に日本最大の蝶オオゴママダラを飼育している宮古パラダイスの蝶々園に寄って蝶の写真を撮りました。

 
15日は軽く市内を走り調整、午後は上野村の体育館での選手受付と開会式に出席しました。
 
16日の日曜日、マラソンスタートは早朝5時です。起床は2時、朝食をとって3時にはスタート地点のドイツ文化村行きのバスに乗りました。天気は雨、風も強く気温も前日より7度も下がってこの冬最低、とんでもない天候下のマラソンになりました。
 
雨や向かい風の中40キロまではキロ7分のペースで走りましたが、中間点付近の池間大橋(1、4キロ)で激しい向かい風になり、飛ばされそうになりました。

 
以後体力も消耗してペースは落ちる一方で、とにかく最後まで走りきることだけを目指しました。それでもゴール10キロ手前で何人かを追い越し少しスピードを上げることが出来ました。でもそれも長続きせず、ペースダウン、最後にゴール寸前でのろのろ走っているランナーに追いつき追い越してゴール。無理して頑張らなくてもいいようなものですが、競技者のさがというのか、ゴール前だと全力疾走になるんですね。
 
タイムは12時間41分、前回より50分遅れ。あの悪天候では仕方がありません。順位はそれでも前回と似たり寄ったり、誰もが苦闘していたんですね。完走率は77%でした。
 
翌日は雨もやんで曇り。風も収まってきています。足は重いのですが少し動かさねば、と6キロの道を歩いて
空港まで行きました。宮古空港に行くと空港の上に大きな虹がかかっていました。歩いていったからこそ見えた虹です。まるでゴールのアーチのようでした。
 
家までは階段の上り下りが多くて苦労しましたが、大したダメージを受けずに帰ることが出来ました。
 
走っている最中は風雨の中なんでこんなに苦しい思いをするんだろう、100キロマラソンはこれを最後にしようと思いました。でもゴールしてしまうと、あの苦しい中で12時間台で走ったのだから制限時間13時間のサロマ湖マラソンでも無理じゃない、いままでの毎月350キロほどのLSDが走りきる体力を生んだのだから、これを続ければまだ大丈夫、と思うようになりました。喉下過ぎれば熱さを忘れます。そして性懲りも無くまた100キロを考えています。いつかそれも必ず終わりが来ます。それまでは精一杯走ろう、来るときの富士山も帰りの大きな虹も、そんな私を迎えてくれているんだと思いました。