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リベラリストとの対話―「自由な共産主義」をめぐって―(34)

2015-08-29 | 〆リベラリストとの対話

32:本源的福祉社会について⑤

リベラリスト:本源的福祉社会をめぐる対論の最後に、住宅問題を取り上げたいと思います。あなたは、『共産論』の中で従来、住宅問題は福祉の問題ではなく、所有とステータスの問題として認識されており、そうした「住宅階級構造」においては、家賃やローンを通じて「持てる者も持たざる者も、「住む」という人間の生の根幹部分を巡り、債務者という受動的な地位に立たされ、呻吟しているのだ。」と指摘されています。この部分は名言だと思っています。

コミュニスト:そう持ち上げておいて、やはりどこか異論がおありなのでしょう。

リベラリスト:家賃やローンから解放される社会は、誰もが望むところだと思います。これはお世辞抜きで、本源的福祉社会の真骨頂だと思っていますよ。しかし・・・

コミュニスト:しかし?

リベラリスト:はい。本源的福祉社会では、住宅は地方自治体が運営する公営住宅に収斂されるとのことですが、このような住宅政策は「自由な共産主義」というより、「統制的な社会主義」に近いものだと言えないでしょうか。

コミュニスト:どういうことでしょうか。

リベラリスト:貨幣経済から解放される本源的福祉というのなら、住宅を個人で建設するにも金はかからないはずですから、お仕着せの公営住宅に頼らなくとも、マイホームを自由自在に建てられるのではないですか。

コミュニスト:たしかに理念的にはそうも言えますが、一方で土地は誰の所有にも属しない無主物となり、領域圏の公的管理下に移されますから、自由自在に住宅建設ができるわけではないのです。

リベラリスト:私から逆提案するのもなんですが、土地については管理公社から宅地を区分的に貸し出すなりして、個人に提供できるのでは?この場合、理論上は借地も無償のはずです。

コミュニスト:そういう形で、私有住宅を建てることも認められます。しかし環境計画経済のもとでは、資本主義的な大規模宅地開発は行なわれません。特に日本のように山林が多い地理的条件では、いっそう環境計画的な宅地造成が必要です。そのため、一見「統制的」ではありますが、計画的に供給される公営住宅が中心とならざるを得ないのです。

リベラリスト:なるほど、そうなりますと、「自由な共産主義」なるものも、我々アメリカ人の心には今ひとつ届きにくいようですね。

コミュニスト:住宅政策は世界一律である必要はないので、アメリカのような広大な大陸型国家では、ご提案のように管理公社を通じた区分借地権の分与という形で、私有住宅を中心にすえることは可能かもしれません。

リベラリスト:もう一つは疑問というより質問です。あなたの共産主義的公営住宅では「環境‐福祉住宅」という理念のもと、環境的配慮とバリアフリーは行き届くようですが、かつてアメリカで実験されたような共有制に基づく協同体住宅の試みは導入されないのですか。

コミュニスト:共産主義的住宅の運営に関しては、初めから制度化するのでなく、自然に委ねたいと考えています。つまり運営事務だけを協同する管理組合のようなものが発生するか、もっと踏み込んで日常生活を共同するような慣習が生まれるかは、共産主義社会の人々の自由意志に委ねられるのです。

リベラリスト:個人的には、現代のマンション型共同住宅のように、建物だけを物理的に共用しながら、各入居者が蛸壺のような部屋に閉じこもって相互に交流もないという住環境は不健全ではないかと考え、協同体住宅の実験も再発見してみては?と思っていたのですがね。

コミュニスト:たしかに蛸壺型共同住宅は資本主義的な病理現象と見ることもできますが、一方で住宅には他人から干渉されずにくつろげる場所という意義もあり、そうしたプライバシーの観点も無視はできませんから、そのあたりはそれこそ自由に委ねてよいと思うのです。

リベラリスト:どうやら、リベラリストが協同体住宅を志向し、コミュニストがプライバシーを尊重するというねじれが起きたようですね。とはいえ、住宅問題を福祉の問題としてとらえ直すという視点は共有できたと思います。

※本記事は、架空の対談によって構成されています。

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