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近代革命の社会力学(連載第114回)

2020-06-15 | 〆近代革命の社会力学

十七 1917年ロシア革命

(1)概観
 20世紀初頭の欧州では、1910年のポルトガル共和革命を除き、大きな革命の波は生じていなかった。これは、19世紀末以来、欧州の主要国では、程度の差はあれ、立憲君主政体が定着する中、資本主義的近代化を基盤に帝国主義的な海外膨張に忙しく、国内的な変革は保留されていたことによるものである。
 そうした中、ロシアを含めた欧州列強の帝国主義的な競争が欧州の地政学的な枠組みを超えた空前規模の世界大戦に進展する。この第一次世界大戦は、世界歴史の構造そのものを変革する契機となった事象であるが、同時に、ロシア、ドイツ、オーストリアという欧州列強参戦国にも連続的な革命の波を作り出した。
 その先駆けとなったのが、1917年のロシア革命である。ロシアでは、すでに1905年の立憲革命により、遅ればせながら立憲帝政への移行が試みられたが、保守的なロマノフ王朝により骨抜きにされ、第一次世界大戦の時点ではほぼ挫折していた。
 そのような挫折状況の中、ロシアではマルクス理論で武装した社会主義勢力が、分裂を内包しながらも、新たな革命の担い手として台頭してきており、従来からの農民革命勢力や立憲革命の産物でもあるブルジョワ民主勢力と競合し合いながら、革命へ向けたマグマを形成していた。
 1917年の大規模な革命は、帝政ロシアが第一次大戦で戦勝国の陣営に立ちながらも、損害と消耗が大きく、敗戦に近い社会経済状況に直面する状況下、そうした革命的なマグマが一挙に噴出したものと言える。非常に大きな噴火であっただけに、1917年革命は、1905年革命とは比べものにならないほどの進展を見せた。
 特筆すべきは、1917年ロシア革命は世界歴史上初めての社会主義革命という性格を持ったことである。それまでの諸革命は、最も進歩的なものでも、ブルジョワ民主革命の線で停止し、それ以上の進展は抑圧されたのに対し、ロシア革命はブルジョワ民主革命の線をあっさり越えて、プロレタリア社会主義革命にまで進展したことで、革命の歴史的な流れを大きく変えた。
 そのうえ、革命後の新体制の担い手として、共産党が登場したことも大きな特徴である。共産主義を標榜する革命運動は18世紀フランス革命当時のバブーフや、19世紀の第二次欧州連続革命当時のマルクス‐エンゲルスなどが興していたものの、いずれも現実の革命には結実しなかったところ、1917年ロシア革命において初めて成功した。
 そして最終的に、ロシアを核に、アジアにまでまたがるソヴィエト社会主義共和国連邦なる新国家が形成され、超大国となったことで、世界歴史の構造にも大きな変化を起こす結果となった。さらに、ソ連共産党は当初、国際的な連携と革命の輸出も意識的に行ったことから、世界各国に共産党組織が拡散的に結成され、それぞれの本国で新たな革命勢力として台頭していく契機を作り出した。
 一方で、ロシア革命はその過程及びその後の内戦で多大の人的犠牲を出したことでも際立っており、最終的に共産党の一党支配体制という特異な国家体制に凝固していった点で、自由・人権の体系的な抑圧が批判の対象となるなど、今日まで多くの論争を招く革命事象となった。
 その功罪はどうあれ、1917年ロシア革命は、18世紀末のアメリカ独立革命及びフランス革命に次いで、世界の構造そのものを大きく変える意義を持ったことは間違いないところである。中でも、18世紀フランス革命とはその社会力学に類似点もあるため、必要に応じて対比しながら見ていくことにしたい。


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