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奴隷の世界歴史(連載第50回)

2018-05-27 | 〆奴隷の世界歴史

第七章 古代国家と奴隷制

古代「文明」と奴隷制④:インド/ペルシャ
 古代インド文明は、インダス文明時代とそれが何らかの要因で滅亡した後に移住してきたアーリア人によるアーリア文明に大別できるが、インダス文明時代の社会構造については不明な点が多い。君主の存在を示すような壮麗な宮殿や大規模墳墓は検出されないことから、比較的平等な都市国家型文明だったと推察されている。
 とはいえ、都市国家でも古代ギリシャのように奴隷制に依存した社会は存在したのであり、インダス文明都市も奴隷制に支えられていた可能性がないわけではない。しかし、古代ギリシャのように、奴隷の姿が明確に描かれた出土品は未発見である。
 インダス文明滅亡後に現れたアーリア文明の段階に関しては、以前の記事で言及したように、緩やかな奴隷制を伴っていた。仏典にも奴隷への言及がかなりあり、ブッダに仕える奴隷の存在も示唆されているほどである。いまだ出自不詳のインダス文明人に比べ、アーリア人は階層的な社会構造を好んだことが窺える。
 古代アーリア人は第二波としてイランにも移住してペルシャ人をはじめとする様々な種族に分かれ、中でもペルシャ人が古代国家の担い手として台頭してくるが、興味深いことには、ペルシャでは奴隷制が組織的に行なわれた形跡が見られない。
 古代ペルシャ文明の集大成とも言えるアケメネス朝にあっても、奴隷はごく少数にとどまり、多くは王朝に反攻した周辺諸部族を奴隷化したものであった。実質的な王朝創始者キュロス1世は、非戦闘員の奴隷を廃止したとされる。その実態については慎重な検証を要するが、奴隷制廃止としては最も先駆的な開明策と言える。
 キュロス2世はメソポタミアを武力で統一すると同時に、ユダヤ人のバビロン捕囚を解放するなど、寛大lな解放者としての側面を有し、古代の統治者としては異例の人物でもあった。
 アケメネス朝は古代ギリシャにたびたび征服・干渉戦争をしかけたことから、この戦争は民主制対専制の争いとみなされることも多いが、こと奴隷制に関しては「民主制」のギリシャ世界のほうがはるかに後進的であったのだ。
 とはいえ、アケメネス朝が滅び、数百年を経て成立したササン朝ペルシャの時代になると、明白に立法化された奴隷制が存在するようになるので、非奴隷制的なペルシャ文明社会は紀元前の古代国家の時代に限定され、時代が下って後退的変化が生じたことも興味深い。


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