ザ・コミュニスト

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年頭雑感1996

1996-01-01 | 年頭雑感

昨年は、国内的には人心を動揺させる二つの事象が早い時期に相次いだ。一つは年初の阪神・淡路大震災であり、もう一つは3月の東京地下鉄サリン事件である。震災は日本の歴史上付きもののようなものだが、数千人が犠牲となる大震災となると、戦後初期の1948年福井地震以来というから、多くの人が忘れているか経験していない頃のことである。

震災は未然に防ぐことができない事象であるが、犯罪事件は別である。地下鉄サリン事件は、オウム真理教なる宗教団体の組織的なテロであったことが判明しているが、やはりオウムの犯行と判明した昨年6月の松本でのサリン事件が先に解明されていれば防げた可能性もあった犯罪事件である。

筆者自身も地下鉄サリン事件の発生当日少し遅れて事件のあった地下鉄を利用しており、時間がずれていなければ被害に遭った可能性もある身近な凶行であっただけに、日本の「安全神話」の崩壊を身をもって感じることになった。

元来、1970年代頃までは日本国内でもテロ事件はしばしばあり、安全はまさに神話なのであるが、80年代以降はバブル景気の中で治安も安定していただけに、こうした宗教テロ、しかも多くの高学歴者が入信・関与していたことは日本社会の新たな変化を暗示しているかもしれない。犯罪は社会の病理現象であるとすれば、バブル崩壊以降の不況の中、日本社会は病んでいるのだろうか。

今後の裁判で詳細が解明されることが期待されるが、罪責を決する裁判では限界のある社会的背景事情や犯罪心理の分析も、裁判とは別途公式に調査される必要があるように思われる。現在の自社連立のスフィンクス政権では心もとないが、関係者の厳罰=死刑に終始させてはなるまい。年来議論のある死刑制度に関しても、大きな一石を投げかける事件である。

テロと言えば、アメリカでも4月にオクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件が発生し、168人が死亡した。こちらは湾岸戦争にも従軍した元米軍兵士の主犯ら3人のグループ犯行とされたが、地下鉄サリン事件の翌月という時期から見て、影響されたのかどうか気になるところである。

血なまぐさい事象の多かった前半に対して、後半では8月にアメリカとベトナムが国交正常化したことは、冷戦時代の象徴であったベトナム戦争の戦後処理がようやく完結したことを意味し、冷戦終結を象徴する新たな出来事として歓迎すべきことであろう。

他方、9月には沖縄駐留米軍兵士3人による県民小学生女児への集団レイプ事件に抗議して、8万人以上が参加したという県民総決起大会が開催される事態になった。こちらは冷戦終結後も駐留を続ける米軍の存在という終わらない冷戦の象徴とも言える。

冷戦終結後、恒久平和へと向かう(べき)新世界秩序の中で、駐留米軍の漸次撤退が実現するのかどうか注目される。その点でも、安保構想に差のある自社のスフィンクス政権は心もとなさが否めないが、ソ連の脅威が去った今、駐留米軍の存在理由は何かを問うべき好機である。

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