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共産法の体系(連載第8回)

2020-02-07 | 〆共産法の体系[新訂版]

第2章 民衆会議憲章

(1)国憲から民憲へ
 共産法においても、法は効力の優劣による階層構造を採るが、その内容はブルジョワ法とは異なる。近代的なブルジョワ法体系で頂点に立つのは憲法である。最高法規とも称されるゆえんである。
 ここで言う憲法とは、国家の基本法という趣意である。つまり、ブルジョワ憲法とは政治的な国家の存在を前提とするという意味では、国家憲法(国憲)である。
 まさにこの点に、しばしばブルジョワ憲法が国民から遊離し、国家支配層の統治及び体制維持の法的道具と化す危険が内在している。技巧的な「法解釈」を通して憲法条項を実質的に書き換える「解釈改憲」はそうした危険が最大限に発現したものであるが、そもそも憲法自体を制定時から支配層に都合よく制定することも十分可能である。
 そうした支配層の策動に対して、「国家権力を統制・抑制することを目的とする近代憲法の本旨に反する」という正当な批判がしばしば向けられるが、この「正論」が通用しづらいことも、ある意味では国憲の本質なのである。
 国憲は国家の基本法であるから、起草の中心となるのも国家支配層の代表者であり、一般国民が起草に関わることはない。国民主権に立脚した近代ブルジョワ憲法において、国民が「究極的な」憲法制定権者であると言われるのも、まさに「直接的」な制憲者は別にいて、一般国民は名義上の「主権者」として象徴的に祭り上げられていることを示唆している。
 そのため、近代ブルジョワ憲法は国家権力の統制・抑制に目的があると宣言してみたところで、国家支配層が自らの武器であるところの国家権力の統制・抑制を真剣に考慮するはずもないのである。かれらにとって、憲法は権力行使における伝家の宝刀である。
 以上に対して、共産法における最高法規はもはや国家憲法ではない。真の共産主義には国家という観念も制度も存在しないからである。
 共産主義社会における最高法規は、民衆が自らの社会を運営するに当たっての基本原則を定めた基本法=民衆憲法(民憲)であり、それは同時に、民衆代表機関としての民衆会議の運営規則=民衆会議憲章という形態を持つものである。


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