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マルクス/レーニン小伝(連載第9回)

2012-08-03 | 〆マルクス/レーニン小伝

第1部 略

第2章 共産主義者への道

(3)在野知識人へ(続き)

最初のアンガージュマン
 パリ時代のマルクスにとって一つの大きな転機となったのは、この地で初めて政治的な実践、言わばアンガージュマンを経験したことである。
 彼はパリ移転の最大目的であったフランス社会主義・共産主義の研究を文献読解にとどまらず、実際にプルードン、バクーニン、ルイ・ブラン、カベーなど当時のそうそうたる社会主義者・共産主義者らと交流することによって実践した。
 そればかりでなく、彼はドイツ亡命者の集まりや、労働者の集会、民主主義者の会合などにも出席するようになった。特に当時のフランスは1830年の7月革命以来、英国に続く産業革命の進展による産業資本の発達に伴い、労働運動も活発化し始め、その最前線ともなっていたから、そうした運動現場に直接触れたことはマルクスがプロレタリアートによる人間解放という視点を切り拓くに当たって大きな動因となったと考えられる。
 こうして、マルクスはパリで理論家としてのみならず、実践的な革命家としての初めの一歩を踏み出していったのである。
 しかし、こうしたマルクスの実践への傾斜はかつての仲間たちとの決裂をもたらさないわけにはいかなかった。元来、彼がまだこの時点で一応は属していた青年ヘーゲル学派は政治グループではなく哲学グループであった。中でもその重心は宗教(キリスト教)批判にあった。それは聖書の中立性をどこまで認めるかといった神学論争から始まって、マルクスに影響を与えたフォイエルバッハにしてもなお宗教哲学の域にとどまっていた。そのため、マルクスはすでにパリ移転前からフォイエルバッハが政治に目を向けようとしないことに批判的になっていた。
 一方、ルーゲのように政治的関心の高い仲間にあっても、民衆を見下すエリート主義的傾向を免れていなかった。しかし、パリで労働運動とも接触しプロレタリアートによる人間解放を提示するに至ったマルクスにとって、民衆蔑視はもはや容認し難いことであった。彼はルーゲとも早々と決別せざるを得なかった。そのために二人で創刊した『独仏年誌』も創刊合併号をもってあっけなく廃刊となってしまったのだった。
 しかし、こうして次々と決別していった旧友たちに代わって、生涯の盟友となる一人の人物がマルクスのもとに飛び込んでくる。


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