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近代革命の社会力学(連載第14回)

2019-09-09 | 〆近代革命の社会力学

三 アメリカ独立革命

(1)概観  
 今日のアメリカ合衆国の建国につながったアメリカ独立革命は、最終的に英国からの独立を獲得するまでに8年近くに及ぶ長期戦を経たため、「独立戦争」とも呼ばれるように、一国内部での体制変動にとどまる狭義の革命とは異なる。  
 しかし、独立戦争の過程で、共和主義の政治思想に基づく君主なき近代共和制国家が創出されたという点で革命的でもあったため、「独立革命」と呼ぶにふさわしい実質を備えている。  
 単に共和制ということであれば、古代ローマも建国から暫くの間は君主を持たない共和制都市国家であったが、領土を拡大し帝国化するにつれて、皇帝を擁する帝制に変更されていった。古代ローマにおける共和制は帝制への準備過程だったとも言える。
 16世紀にスペインから独立したネーデルラント(オランダ)も、統領を元首とする共和制国家と呼ばれるが、ネーデルラント統領は貴族であるオラニエ公家による世襲であり、最終的には明確な君主制に収斂したため、真の意味での共和制とは言い難い。
 終始一貫した共和制国家としては、ローマ帝国の迫害を逃れたキリスト教徒が建国したと言われるイタリア半島の小国サンマリノがあるが、大国で終始一貫した共和制国家として存続しているのは、アメリカ合衆国だけである。  
 アメリカにこのような強力な共和主義の思潮が現れた理由として、合衆国の土台となった英国の北アメリカ植民地が、英国による直接的な征服によらず、移民たちの自由な入植活動によって構築されていったことも影響していると考えられる。  
 ちなみに、17世紀に遡る最初期のアメリカ移民には、有名なピルグリム・ファーザーズに象徴されるようなピューリタンが少なからずいた。ピューリタンは英国本国では、前回まで見た17世紀英国革命(清教徒革命)の担い手となり、イングランド共和国を成立させていた。  
 アメリカ移民のすべてがピューリタンではなかったから、アメリカ独立革命をピューリタン革命のアメリカ版とみなすことには無理があろうが、今日のアメリカでもプロテスタント派が宗教上の多数派を占めていることは、アメリカ独立革命とピューリタン‐プロテスタントとの結びつきを物語るものと言える。  
 合衆国の土台となった北アメリカ植民地は、独立前は英国領であるから、法的な元首は英国王であり、植民地には国王代官たる総督が派遣されていたとはいえ、海を越えた広大な植民地に英国王の実効支配は充分に及んでおらず、入植者による自治の気風が元来強かった。  
 他方で、10を越える植民地が独立前は統合されず、それぞれが事実上の自治国家のように運営されていたことから、中央集権制には否定的であり、独立に際しても、完全には統合されず、各植民地を引き継いだ各州が司法権を含めた高度の内政自治権と軍事力を留保する連邦主義へ赴くことになった。  
 このような共和制と連邦制の組み合わせ―連邦共和制―という新たな政体は、17世紀初頭から18世紀後半のおよそ200年に及んだ植民地の時代に、歴史的な時間をかけてじっくりと醸成され、発芽の時を待っていたのだと言える。


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