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「女」の世界歴史(連載第36回)

2016-07-12 | 〆「女」の世界歴史

第三章 女帝の時代

(3)ロシアの女帝時代

 東ヨーロッパの大国ロシアでは、17世紀初頭、300年にわたり、近世ロシアを演出することになるロマノフ朝が登場する。この王朝下では、18世紀に入り、断続的ながら四人の女帝が出現した。
 従来、ロマノフ朝以前のロシアでは女王(女性君主)は事実上のタブーであり、正式な女王は一人も輩出されていなかったところ、ロマノフ朝になって女帝が出現した理由は、ロシアにおいても、ピョートル1世の手により遅れて西欧的な近世帝国の建設が始まったことと関連しているかもしれない。
 ただ、ロシアの女帝時代を直接に切り拓いたのは、年少で即位したイヴァン5世及びピョートル共同皇帝時代の摂政となったピョートル異母姉ソフィア・アレクセーエヴナ(イヴァン同母姉)であったと思われる。野心的なソフィアは、それまで皇族女性が宮殿の奥に事実上隔離されて暮らしていた慣例を破り、自ら政治の表舞台に登場する先例を作った。これは、限定的ながらロシアにおける女性解放の最初の一歩であった。
 元来は異母弟ピョートルの登位を阻止するため実権を握ったソフィアは7年間の摂政期に内政外交でいくつかの成果を上げ、結果的にピョートル時代を準備する中継ぎの役割を果たしたが、ピョートルが成長するとその地位は揺らぎ、1689年、ピョートル派の圧力により摂政の座を退き、修道院に隠棲したのだった。
 正式にロシア最初の女性君主となるのは、1725年から27年まで短期間だけ女帝の座に就いたエカチェリーナ1世であった。彼女は、農民の娘から時の皇帝ピョートル1世側近アレクサンドル・メンシコフ将軍家の女中となり、さらにピョートルに「献上」されたのをきっかけに皇帝の愛人となり、ついには皇后に昇格するという異例の階級上昇を遂げた女性である。
 ピョートルには前妻として貴族出身の皇后エヴドキヤ・ロプーヒナがいたが、彼女は保守的で、ピョートルが推進する西欧化改革に反対する勢力の代表者となっていたため、不仲のまま離婚に至り、二人の間の長男アレクセイも粛清されていた。ピョートルが後継指名しないまま1725年に没した時、保守派はアレクセイの遺子ピョートル・アレクセーエヴィチを推したが、改革派及び近衛隊はクーデターを起こし、皇后エカチェリーナを帝位に就けた。
 このような政情不安の中で、ロシア初の女帝は誕生したのだった。即位の経緯からしても、エカチェリーナ1世は夫ピョートル大帝の路線を継承する中継ぎ的な役割に限定され、実権もかつての雇い主メンシコフに握られていたが、唯一、軍事大国を目指した大帝時代に膨張し過ぎた軍事費の削減だけは女帝主導で断行するなど、気骨あるところも示した。
 エカチェリーナが治世2年で病没すると、メンシコフの策により12歳になったピョートル・アレクセーエヴィチがピョートル2世として即位するが、彼は14歳で夭折、後継には、ピョートル大帝の姪に当たるアンナ・イヴァノヴナが就いた。ここで再び女帝の登場である。
 彼女に白羽の矢が立ったのは、保守派がピョートル直系を嫌い、女帝を傀儡化しようとしたことにあるとされるが、即位後のアンナは傀儡を拒否し、ピョートル時代の専制体制を復活させた。ただ、アンナの治世は凶作や疫病が相次ぐ中、重税策もあり、しばしば「暗黒時代」とみなされるが、アンナ女帝はドイツ人顧問らに実務を委ねつつ、基本的にはピョートル大帝の西欧化・近代化政策を継承する手堅さも見せた。
 10年の治世の後、アンナが没すると、次帝はアンナの遺言に従い、アンナの姉の孫に当たるわずか生後2か月の幼帝イヴァン6世となったが、ここでピョートル大帝の娘にして野心家のエリザヴェータ・ペトロヴナが近衛隊を動かしてクーデターを断行、イヴァンを廃して、自らロシア三人目の女帝に就く。
 彼女の母はエカチェリーナ1世で、母はエリザヴェータを後継者に望んでいたが、エリザヴェータの出生時、母はまだ愛人であったため、婚外子とみなされ、実現しなかった。しかし、大帝の娘として、エリザヴェータは常に有力な帝位継承権者であり続け、特にアンナ女帝からは警戒されていた。
 即位後のエリザヴェータは実務を有力な側近らに委ね、自らは関心の高かった文化事業に没頭した。また啓蒙君主の先駆け的な存在でもあり、特に即位時の公約として治世中死刑の宣告を停止する進歩的な政策を採った。
 他方では、クーデターで得た自身の正当性を欠く帝位を守るため、エリザベータは廃位に追い込んだ幼い前皇帝イヴァン6世を匿名で要塞監獄に生涯拘禁し、その両親・きょうだいもイヴァンから引き離して別途監禁するという徹底した非情さも持ち合わせていた。
 20年以上にわたったエリザヴェータ女帝の治世は、農奴制の強化という悪制や多数の愛人の存在といったライフスタイルを含め、様々な点でロシア女帝の集大成とも言うべき後のエカチェリーナ2世の時代を準備する役割を果たしたと言えるであろう。
 エリザヴェータ後継者の甥ピョートル3世の皇后からロシア四人目の女帝となるエカチェリーナ2世は啓蒙専制君主の代表格としても名高く、その事績も多岐にわたるため、改めて次回にまわすことにする。


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