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「上皇」の時代錯誤感覚

2017-04-22 | 時評

天皇の退位問題に関する政府の「有識者会議」の最終報告で提案された天皇退位後の呼称「上皇」には驚かされる。おそらく「有識者会議」とは正確には「有職故事者会議」の間違いだったに違いない。

まだ法案化されたわけではないとはいえ、恒例の結論先取り的なやり方からして、最終報告の線で法案化される公算は高い。もし「上皇」が誕生すれば、200年前の光格上皇以来の復古となるというのだから、時代錯誤も極まれりである。

上皇とは太の略であり、元来は天皇より上に位置する地位であった。初代の持統上皇は譲位した年少の孫・文武天皇の後見役として初めてこの職を創設し自ら就任、引き続き女帝として実権を保持していた(その経緯については拙稿参照)。これにより、不安定だった皇位継承制度を確実にしたのである。

このように上下二人の天皇が並存するような仕組みから、平安時代には院政のような二重権力支配の弊を生じたわけであるが、院政の代名詞である上皇を現代の象徴天皇制の時代に復活させる感覚は理解し難い。神権天皇制の明治憲法下ですら上皇は復活しなかったのに、象徴天皇制の時代になぜ上皇復活か。

今般の退位問題は、いかに会議の正式名称を「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」などとぼかしても、平成天皇の「定年退職」の可能性を開くための策として出てきているものである以上、院政のイメージの強い上皇はふさわしくなく、象徴天皇制に適合した策を考えるべきだろう。

最も端的なのは、特別な称号なしというものである。天皇を辞めれば平の皇族に戻る。それでは寂しいというなら、私案であるが、「先皇(せんのう)」「先皇后」という対語はどうだろう。前の天皇を「さきのみかど」と呼ぶことは古くからあったようであり、必ずしも新奇な表現ではない。まさしく先代天皇・皇后の呼称である。

もっと言えば、自ら天皇の地位を去るなら皇族ですらなくなるということが最も民主的だが、年金制度もないゆえに老後の生活問題に直面する。特別な年金や邸宅を公費で支給すれば、貴族制度の廃止を定めた憲法14条に違反する疑いも生ずるため、皮肉にも平等原則を守るために「先皇」「先皇后」は皇族として扱わねばならない。

不可解なのは、筆者の知る限り共産党のような革新野党も上皇復活論に特別な反応を示していないことである。幻の「野党連合」構想のために、天皇制をめぐる議論の矛も鈍っているなら、それは根本的な次元での時代感覚の緩みである。


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