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貨幣経済史黒書(連載第3回)

2017-11-19 | 〆貨幣経済史黒書

File2:ギリシャ・ポリスの貨幣禍

 小アジアのリュディアが創始した鋳造貨幣の利点をすぐに理解したのは、地理的にもリュディアに近いエーゲ海域で都市国家ポリスを営むようになっていたギリシャ人であった。ギリシャで最初に鋳造貨幣(銀貨)の製造を始めたのは、ペロポネソス半島東北部のアルゴリスとされる。
 次いで、金鉱があったと見られるエーゲ海最北部のタッソスで金貨の鋳造が始まり、紀元前6世紀を通じて、ギリシャ世界全域での硬貨の使用慣習が定着したと見られる。しかし、統一通貨は定まらず、ポリスごとに通貨が異なったため、両替商が発達する。
 この原初両替商は、今日で言えば異なる通貨間の国際為替制度の萌芽であると同時に、預託された資金を貸し付け、利息を稼ぐ銀行業の萌芽でもあった。ここから、債権者と債務者の分裂が生じた。当時、債務者は奴隷に落とされる悲惨な境遇であった。アテナイの改革者ソロンが債務帳消しの徳政令と債務奴隷の禁止を打ち出したことには大きな意味があった。
 一方、地中海世界有数の銀山ラウリオンを擁したアテナイは、採掘を過酷な奴隷労役に委ねつつ、銀貨の鋳造を積極的に行なった。結果として、アテナイでは貨幣経済が行き渡るようになり、ギリシャ世界随一の商業都市として台頭する。アテナイは、民会参加資格を有する市民階級に銀貨を支給するという現代のベーシック・インカムに相当するような制度を導入するだけの財力を誇った。
 良いこと尽くしのように見えるが、貨幣経済の浸透・定着は、その裏に貧富差の拡大現象を伴っていた。その点、アテナイのライバルであったスパルタでは土地と参政権を持つ市民間は完全平等が本旨とされ、貧富差を生じさせないため、商工業は参政権を持たない二級の劣等市民にすべて委ねるとともに、上層市民には国内での貨幣の使用も禁じるなど、一種の共産主義も取り入れていた。
 しかし、ペロポネソス戦争後、スパルタにも貨幣経済が浸透し、没落する上層市民も急増する。元来商業的なアテナイでは市民間での貧富格差の拡大により、政治の実権は次第に富裕な商工業者などの手に移り、ある種のブルジョワ寡頭政の傾向を強めていった。
 こうして、市民間での貧富格差の拡大は、共同体的結束が命であったポリスの一体性を弱め、個人主義的風潮を生み出した。まだ資本主義と呼ばれる経済システムの登場ははるか遠い未来のことではあったが、貨幣経済の発達が共同体を解体し、人々を孤人化していく傾向的法則は、古代ギリシャ世界において早くも予示されていたと言えるのである。


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