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近代革命の社会力学(連載第89回)

2020-04-06 | 〆近代革命の社会力学

十三 ロシア/イラン/トルコ立憲革命

(3)イラン立憲革命

〈3‐1〉属国化と革命機運
 近世イランは、異民族支配王朝であるカージャール朝とともに始まるが、カージャール朝は間もなく、コーカサスからイラン北部への南下政策を追求する帝政ロシアの脅威に直面する。その結果、カージャール朝イランは二次に及ぶ対ロシア戦争を通じてロシアに領土的譲歩を強いられ、最終的には治外法権まで認めさせられる結果となった。
 その後は、ロシアに対抗して西アジアへの進出を狙うイギリスからの圧力にも直面して、19世紀後半期のカージャール朝イランはロシアとイギリスの半植民地状態に置かれるようになった。特にイギリスの経済的進出は目覚ましく、経済的な権益を個人資本家が取得する動きが相次いだ。
 このような英国資本家への経済権益譲渡は、対外戦争のために恒常的な財政難にあったカージャール朝にとっても財政再建の打開策であったため、事実上国を切り売りするような卑屈な政策をあえて採ったのである。しかし、1890年、タバコ専売特権をイギリス人に付与したことは、広汎な抗議を呼び起こした。
 不利益を受けたタバコ商人のみならず、アフガニスタンまたはイランの生まれとされるジャマールッディーン・アフガーニーのような国際的ナショナリストの思想家も介入して、シーア派宗教指導者によって全国的な抵抗が呼びかけられた。その結果、イラン民衆が一斉に喫煙を中止するタバコ・ボイコット運動が隆起し、政府もイギリス人のタバコ利権を廃止するに至った。
 この運動そのものは特定の政策に対する抗議行動であって、革命ではないが、タバコという日用品をめぐって、近代イランにおける最初の民衆の覚醒を促した画期的な出来事であった。この運動はまた、イランにおける伝統的なシーア派宗教思想と近代思想とをつなぐ架け橋のような役割も果たしたと言えるが、その媒介者はアフガーニーのような新しい汎イスラーム主義の思想家であった。
 19世紀末のイランでは、同世紀後半期に体制主導で試みられた限定的な近代化改革によって生み出された近代思想の潮流も生じていたが、タバコボイコット運動以後、20世紀に向けて、イランにおいても、カージャール朝の専制に反対し、憲法制定を求める動きが生じ始める。
 1905年のロシア立憲革命は、イランを半植民地状態に置く仇国ロシアでの出来事ではあったが、同じように専制下にあったイラン民衆に対しても、強い印象を与える出来事であり、このことが直接ではないにせよ、同年のイラン立憲革命を触発する動因にはなったと考えられる。


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