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近代革命の社会力学(連載第325回)

2021-11-08 | 〆近代革命の社会力学

四十七 インドシナ三国同時革命

(3)ベトナム統一社会主義革命

〈3‐1〉南ベトナム解放組織の結成と展開
 1975年のインドシナ三国同時革命の発生力学において主軸的な位置にあるベトナム統一社会主義革命は、一足先に社会主義体制を樹立していた北ベトナムと、親米反共の南ベトナムに結成された南ベトナム解放民族戦線の協働関係により実行される。
 南ベトナムの前線における革命組織となった南ベトナム解放民族戦線(NLF)は、南ベトナムやアメリカ側からしばしばベトナム共産党の省略蔑称として「べトコン(Vietcong)」と称されたが、実際のところ、この組織自体は共産党ではなく、共産主義者をはじめ、南ベトナム独裁体制に反対する自由主義者や仏教徒を含む人民戦線型の共闘組織であった。
 ただし、北ベトナムの他名称共産党であるベトナム労働党の強い影響下にあったことは否めず、同党の代理組織という性格もあった。そのため、北ベトナム側の武力統一方針に沿って、軍事部門として南ベトナム解放軍(LASV)を擁し、結成時から武力闘争による革命を目指していた。
 そうした組織の性格上、北ベトナムのホー・チ・ミンのようなカリスマ性を持った指導者はおらず、戦線全体の指導者は当初空席であったが、結成から二年後の1962年になって、弁護士出身で独立運動闘士でもあったグエン・フー・トが中央委員会幹部会議長に選出され、ベトナム統一後の1977年に組織が解散されるまで同職を務めた。
 こうして、NLFは南ベトナムで武力闘争に入るが、戦争当初は南ベトナムを戦場とする内戦であったものが北ベトナムをも戦争当時者とする「ベトナム戦争」へと拡大するのは、1964年8月のいわゆるトンキン湾事件以降である。
 アメリカ側の主張によれば、1964年の8月2日と4日の二回にわたり、アメリカ海軍駆逐艦がトンキン湾の公海上で北ベトナム海軍哨戒艇の攻撃を受けたとされ、これを理由にアメリカはベトナムへの大軍の派遣を決め、ベトナム戦争が開始された。
 しかし、この戦争端緒の説明は後にアメリカのメディアによってその虚偽性が暴かれ(真実は、アメリカ駆逐艦側が北ベトナム領海内に侵入)、今日では戦時情報操作の悪質な事例として、2003年にイラクの大量破壊兵器保有という虚偽情報が開戦の口実とされた事例と並び、著名である。
 虚偽情報に基づくとはいえ、戦争が内戦を超えて北ベトナムを巻き込む複合戦争に拡大したことで、戦争の早期終結の可能性は絶たれ、10年以上に及ぶ長期消耗戦に突入するが、アメリカの支援を受けた南ベトナムとアメリカの合同軍に対して、LASVの戦力は圧倒的に劣勢であったため、農村を根拠地とするゲリラ戦を主体とする戦略を採った。
 農村遊撃戦術という点では、かつて毛沢東に指導された革命前の中国共産党が採用した戦略と共通するものがあるが、NLF‐LASVは都市部でのテロ攻撃も行ったほか、暗殺部隊を組織し、南ベトナム内で3万人を超える暗殺を実行したともされている。


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