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奴隷の世界歴史(連載第40回)

2017-12-27 | 〆奴隷の世界歴史

第五章 アジア的奴隷制の諸相

東南アジアの奴隷制
 東南アジアは複雑に入り組み、かつ前近代には多数の小王国がひしめき、興亡し合っていたところでもあるので、奴隷制一つとってもその全体像の把握は困難であるが、ここでは前近代の東南アジアにおいて特に有力だったカンボジア、タイ、ビルマ諸王朝の奴隷制を中心とした簡単な概観にとどめる。
 カンボジアでは9世紀から15世紀にかけて、アンコールワットに代表される壮大な建造物を遺したアンコール王朝が繫栄したが、この王朝は当初影響を受けたインドからカースト制を導入した。奴隷はやはりカースト外最下層階級とされ、建設などの重労働に従事した。アンコールワットのような建造物も奴隷によって建設されたと見られる。
 アンコール王朝における奴隷の給源は山間部密林の部族や債務者、戦争捕虜などであったと考えられる。アンコール社会における奴隷の人口構成は不明だが、遺された壮大な数々の建造物からみて、王朝は相当数の奴隷労働力を動員する力を保持していたと推定される。
 続いてアンコール王朝を滅亡させたタイの王朝も奴隷制を保持したが、戦争捕虜は王の所有物とされ、多数の戦争捕虜が存在していた。それ以外に、タートと呼ばれる契約に基づく奴隷身分があったほか、支配層の下で労役などに従事するプライと呼ばれる隷属身分もあった。タイにおけるこうした奴隷的諸制度の廃止は、チャクリー朝のラーマ5世による近代化社会改革が進行していた1905年を待たねばならなかった。
 次いで、タイのスコタイ王朝を滅亡させたビルマのコンバウン王朝も、隣接するインドのカースト制にならった身分制度を持ち、自由人と奴隷の身分差が厳格に分けられていた。
 それ以外の地域では、フィリピン・インドネシア方面のイスラーム系首長諸国が17世紀から19世紀にかけて、フィリピンやタイ沿岸部で農業労働力確保のための奴隷狩りを行なっていたほか、スラウェシ島のマレー系先住民トラジャ族の奴隷がジャワ島などとの間で奴隷貿易の対象とされるなど、マレー系諸民族の間で地域間奴隷貿易が見られた。
 なお、トラジャ族の社会は王制ではなかったが、貴族・平民・奴隷という原初的な三つの厳格な社会階級を持ち、奴隷にはアクセサリー装身や住宅装飾の禁止、上位階級女性との性行為禁止、葬儀の禁止等、死罪をもって担保される厳格な生活規範が課せられていた。


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