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戦争観念法

2015-09-17 | 時評

今国会での可決・成立がほぼ確実となった集団的安保諸法案は、批判者らによって「戦争立法」と渾名されてきたが、実のところ、今般の立法は多分にして内容空疎な観念立法にとどまっている。

法律の必要性についての政府の力説も、それに対して反対派が掲げる「立憲主義」の教説も、すべてが空虚な観念論戦の様相を呈したのも、無理からぬことである。

今法案は「存立危機事態」「重要影響事態」なる二つのキー概念を擁しているが、集団的自衛権の発動要件となる前者の言わば国の存亡に関わるような危機とは、個別的自衛権の発動事例となる直接侵略の場合以外には現実に想定できない事態である。

他方、より危険度が低く、外国軍への後方支援の発動要件となる「重要影響事態」は「重要」「影響」という曖昧な用語をつなげただけの空理であるから、現実に何らかの「事態」が発生した際に判断基準としてはとうてい働かない。政府自身を判断不能に陥れるだけである。

かくして、今法案は軍事参謀のような真の軍事専門家が作成したものではなく、抽象的な法観念を振り回す法律家主導で作られた法案という性格が濃厚である。具体的事例をもって追及されても、政府がまともに答弁できないのも当然であった。

このように内容空疎な法案の成立を政府が異様なまでに急いだ理由は、この法案を早期に成立させて直ちに戦争を発動したいから、ではない。それよりも、この「戦争観念法案」には政治外交上の重要な意義があるからだ。

一つは、現支配層の宿願である改憲の前哨戦とすることである。今法案は「解釈改憲」という姑息手段をとっているため、9条との整合性を担保するためとして集団的自衛権の発動要件を「限定」するという論理が持ち出された経緯もある。

しかし、観念的とはいえ、集団的自衛権の解禁を明確にしたことで、憲法9条の規範性は仮死状態に陥る。このことは、最終的に9条の廃止につながるだろう。将来の政府は、「限定」された今法案(法律)では適切に集団的自衛権を行使できないという理屈から、桎梏である憲法そのものを改正しなければならないという改憲論理を持ち出すこともできるようになる。

もう一つは、対米得点稼ぎとしての意義である。これは日米同盟における米国側負担を軽減したいという米国側の意向に答えるもので、現支配層の存立基盤である軍事大国・米国の庇護を今後とも確実にするという事大主義的な外交意図に出たものである。

同時に、今般法案の成立過程は、巨大与党が議会制の枠組みを使って野党も議会外の声も排斥して超憲法的な立法を断行できるという実例を示した。このような政治を「ファシズム」と呼ぶかどうかは別として、少なくとも議会制度が民主主義を保証するものでないことだけはこれではっきりしただろう。


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