ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

近代革命の社会力学(連載第435回)

2022-05-31 | 〆近代革命の社会力学

六十二 ユーラシア横断民衆諸革命

(2)セルビア革命

〈2‐3〉革命の不純化‐アメリカの操作的関与
 2000年のセルビア革命は同年のユーゴ連邦大統領選挙に対立候補を立ててミロシェヴィチに対峙した野党連合・セルビア民主抵抗が主導したと言えるが、中でも、その支持基盤ともなった青年運動組織・オトポール(セルビア語でレジスタンスの意)の働きが大きかった。
 この組織は元来、大学への権力介入策である大学法の制定に反対する学生運動組織として1998年に結成されたものであるが、NATOによるセルビア軍事介入後、運動目標がそうした限定的な政策批判から体制転換へと拡大され、革命組織に発展した。
 とはいえ、この組織はロシア革命その他の古い武装革命で見られた革命組織とは一線を画し、非武装平和革命を目標としていた。さらに、少なくとも標榜上はヒエラルキーのない水平的な指導体制を謳ってもいた。
 オトポールは短期間で数万人の支持者を抱える組織に発展していくが、そのような急成長の影には、アメリカによる資金援助とある種の「革命指南」があった。そうした事実は革命後に暴露されることとなる。
 それによれば、アメリカは同盟国/勢力への非軍事的な支援浸透機関である合衆国国際開発庁や複数の民間団体を通じてオトポールに多額の資金援助をしていたほか、別の団体はオトポールの指導的メンバーらに非暴力抵抗の手法について戦術的な指南さえ行っていた。
 こうしたアメリカによる操作的な革命関与は、冷戦時代のアメリカが反米的とみなした外国体制を軍事クーデターの背後的支援によって転覆してきた旧来の手法に代えて、新たに「開発」した体制転覆の技法という意味合いもあったと考えられる。
 セルビア革命が不正選挙に抗議する民衆の自発的な蜂起を契機として生起した事実に変わりないとはいえ、アメリカによる物心両面での操作的な関与の事実は革命に汚点をつけ、不純化したことも否めない。実際、オトポールはそうした事実の暴露や一部メンバーが豪奢な転身ぶりを示したことなどへの批判から評判を落とすこととなった。
 また、オトポールはそもそもミロシェヴィチ体制打倒の一点集中的な運動組織で、確固たる政治経済理念を共有していたわけでもなかったため、常設的な政党化には適さず、最終的に野党連合の中心政党であった民主党に吸収されていった。
 こうして政党としては失敗したオトポールであるが、その非武装平和革命の斬新な手法はユーラシア大陸の独裁諸国の青年運動に広く影響を及ぼし、ユーラシア横断諸革命では、オトポールメンバーによる指南を受けた青年運動が各革命で主要な役割を担うことになる。


コメント    この記事についてブログを書く
« 近代革命の社会力学(連載第... | トップ | 近代革命の社会力学(連載第... »

コメントを投稿