ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

奴隷の世界歴史(連載第10回)

2017-08-21 | 〆奴隷の世界歴史

第二章 奴隷制廃止への長い歴史

フランス―革命と奴隷制
 フランスにおける最初の奴隷制廃止は14世紀、時のルイ10世の勅令に遡る。そこでは、すべての人間は自由人として生まれると宣言し、フランス王国内での奴隷制の廃止を規定している。
 これは啓蒙思想が現れる数百年も以前における開明的な施策として注目すべきものがある。とはいえ、この勅令は主として農奴制の改革を念頭に置いたもので、その後、帝国化していったフランスの海外植民地やフランスも当事者として関わった奴隷貿易には適用されなかったのである。
 奴隷貿易時代のフランス奴隷制度はルイ14世時代の黒人法によって容認されていた。黒人法は黒人奴隷に対する虐待を禁止するなどある程度「人道的」な規制を伴っていたが、奴隷主の懲罰権や人種間結婚の禁止などを含む差別的な立法であった。
 ただ、フランスでは先のルイ10世勅令の影響も残り、奴隷制の運用は寛容で、個別的な解放奴隷も多かったうえ、人種間結婚の禁止も厳守されなかったため、特にカリブ海の西インド諸島植民地では混血系のムラートが中間層として形成された。
 啓蒙の時代になると、フランスでも奴隷制廃止論が盛んとなり、1788年には英国のトマス・クラークソンの助言の下、初の奴隷制廃止運動団体として「黒人の友協会」が設立された。翌年の革命の後、92年には有色自由人へのフランス市民権の付与を経て、94年に第一共和政ロベスピエール政権下で奴隷制廃止が決定、翌年の憲法にも盛り込まれた。
 このような急展開の背景には、91年、カリブ海の代表的なフランス植民地サン‐ドマング(後のハイチ)における奴隷反乱が影響していた。この反乱は後にハイチの独立という成果に結びつくが、これについては次回改めて見ることにする。
 さて、年代だけを取ると、フランスでの奴隷制廃止は英国より40年近く先駆けたまさに革命的な出来事であったが、ロベスピエールらジャコバン派の失墜とナポレオンの登場によるフランス革命の反動的終息が逆行的な経過をもたらす。
 第一統領に就任したナポレオンは西インド諸島マルティニーク島出身の妻ジョゼフィーヌの一族もそうであった旧奴隷主の支持層からの圧力を受け、1802年、奴隷制の復活を決断したのである。この反動政策への反発は、04年のハイチ独立革命を呼び起こした。
 結局、フランスで最終的に奴隷制が廃止されるのは、ナポレオンの失墜と1830年の七月革命をまたぎ、さらに1848年の二月革命による第二共和政の樹立を待たなければならなかった。


コメント    この記事についてブログを書く
« 奴隷の世界歴史(連載第9回) | トップ | 奴隷の世界歴史(連載第11回) »

コメントを投稿