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オバマさんの卒業旅行

2016-05-29 | 時評

二期目の残り任期一年を切ったオバマ大統領が、3月のキューバに続き、ヒロシマという米国にとっては歴史的な鬼門とも言うべき場所を立て続けに公式訪問した。

特にヒロシマ訪問は「画期的」と称賛する声もある。たしかに(周到に計算された)決断ではあったろう。しかし、レイムダック化した政権末期の訪問は、卒業旅行に等しいものである。

一期目や二期目でも初年度ならともかく、この時期の訪問を機に大きな政策転換につなげることはもはや無理で、しかも、同じ党でも後継指名のような政治習慣がなく、一から選び直しとなる米国では、次期政権への宿題として引き渡すこともできない。

とはいえ、ほとんど無名から大統領にのし上がっただけあり、オバマは政治的な直感には優れている。どうすれば世の注目をひきつけられるか、心得ているようだ。88年ぶりの米大統領によるキューバ訪問や米大統領として初のヒロシマ訪問は、ビッグニュースとして確実にメディア的注目を引くからだ。

特に日本人は儀礼好きで、丁重な儀礼的行動を称賛する傾向があるという国民性をよく知っていて、周到にヒロシマ訪問の段取りを設定した形跡がある。これはオバマ個人を越えて、政治心理学的知見を外交にも応用する米政府の巧みさかもしれない。

だが、儀礼は儀礼であって、象徴的な意義が強く、内容に乏しい。今般のヒロシマ訪問も原爆投下への謝罪ではなく、自然災害のときと変わらない追悼に近いものであった。「核なき世界」の理想も、二期にわたった任期中に具体化されることはなく、オバマ政権は、冷戦終結後では最も核軍縮に消極的な米政権という汚名を残すことは確定的である。

*実際、27日の広島演説の冒頭、自動詞で語られた「71年前の雲一つない明るい朝、空から死が舞い降り、世界は変わった。」は、まるで自然災害のような口ぶりに聞こえる。むしろ、他動詞で「(アメリカが)空から死を舞い降らせ、世界を変えた」と語られるべきだったろう。

かくして、核ボタン持参でのヒロシマ・スピーチは、全般に「実行大統領」より「演説大統領」としての性格が強かったオバマの、最後の名演説として記録されることになろう。

 

[追記]
オバマ政権は、対テロ戦争を開始したブッシュ前政権と比べても、比較にならないほどのドローン爆弾攻撃を各地の紛争地域で行い、在任中、総計524回の攻撃で3797人を殺害(うち民間人犠牲者324人)したとされる(外部サイト)。自身、「どうやら私は人を殺すのが得意なようだ。それが私の得意分野になるとは知らなかった」と補佐官に述懐していたともいう。私人であればおよそ4000人を殺害した大量殺人犯に相当するこのような殺人愛好者がノーベル平和賞を受賞したのは、ブラックジョークというほかない。


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