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近代革命の社会力学(連載第7回)

2019-08-19 | 〆近代革命の社会力学

二 17世紀英国革命

(1)概観  
 ヨーロッパにおける近代革命の先駆けと言える位置にあるのは、17世紀半ばに勃発したイングランドの「清教徒革命」である。この革命も、日本の一向宗革命と同様、近代に先行する近世期の信仰に根ざした革命という点で共通性を持つ。  
 ただ、実のところ、日本で好まれる「清教徒革命」という言い方は英国史上ではあまりなされておらず、むしろ「イングランド内戦」(English Civil War)または「三王国戦争」(Wars of the Three Kingdoms)と呼称されることが多い。  
 「イングランド内戦」とは、「清教徒革命」を契機に革命派と反革命派(王及び王党派)の間での内戦が10年近くも延々続いたことをとらえた言い方である。一方、「三王国戦争」は、イングランドの革命を発端として、近隣のスコットランド、アイルランドをも巻き込む三つ巴の宗教戦争に及んだ点を重視してのことと考えられる。
 しかし、焦点となったイングランドでは時のステュアート朝国王チャールズ1世の処刑を契機に、現在までのところ英国史上唯一の共和体制が実現したことをとらえれば、単なる戦争ではなく、革命の実質を有する事象であったと言える。  
 もっとも、ピューリタニズムの信仰が革命においてどれほどに決定因となったかと言えば、「清教徒革命」においては、一向宗革命のように教団ないし信徒共同体そのものが革命の当事者となるようなことはなく、むしろ議会が革命主体として王及び王党派と対決するというある意味ではすぐれて英国的な経過をたどっている。  
 ただ、革命を指導したオリバー・クロムウェルをはじめとする議員たちは急進的プロテスタント(ピューリタン)であったことから、革命の動因として信仰という要因を無視することもできない。その意味では、「清教徒革命」という呼称も誤りとは言えない。  
 しかし、「清教徒革命」には続編があった。「清教徒革命」自体は、クロムウェルの没後、すみやかに終息し、王政復古がなされるが、その後、17世紀末、立憲君主制への出発点となるようないわゆる「名誉革命」を経て、一連の革命が完結している。  
 この「清教徒革命」から「名誉革命」に至る17世紀英国(スコットランドを含む)の革命的変動の全体を「17世紀英国革命」と呼ぶことができる。本節ではそのように把握された一連の革命をめぐる社会力学について見ていくことにする。


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