ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

リベラリストとの対話―「自由な共産主義」をめぐって―(33)

2015-08-22 | 〆リベラリストとの対話

31:本源的福祉社会について④

コミュニスト:本源的福祉社会における無償医療制度にご懸念をお持ちのリベラリストさんならば、無償介護制度にも同様のご懸念をお持ちでしょう。

リベラリスト:もちろんそれもありますが、介護に関しては「脱社会化」という理念に疑問を覚えます。つまり施設を廃して、在宅介護中心に変革するというのですが、それではかえって介護は家庭の任務とされた介護の個人化の時代への逆戻りになるのではないでしょうか。

コミュニスト:私が「脱社会化」と言ったのは、やや特殊な意味においてです。このキャッチフレーズは日本で介護を社会保険制度を通して営利を含む民間事業に丸投げしている現状へのアンチテーゼとして述べたもので、普遍性はないのです。言わば、『共産論』日本語版固有の記述ですね。

リベラリスト:それにしても、共産主義的福祉ならば、介護を含めた「福祉の社会化」を素直に打ち出したほうが分かりやすいと思いますがね。あなたは教育に関しては、「子どもたちは社会が育てる」という理念を打ち出していたはずです。

コミュニスト:たしかに教育に関しては親任せにできないので、「社会化」を大胆に進めるべきだと思いますが、福祉に関してはすべてを社会化するのは無理で、やはり日常生活場としての家庭を中心に、しかし介護負担を嫁/娘に押し付けるのでなく、公的介護ステーションのような無償の社会的サービスでサポートするという体制になるのです。

リベラリスト:となると、相当多くの人員を介護に投入しなければならないでしょうが、ここで、冒頭投げかけられたような無償の問題性が出てきますね。介護のようにある意味汚れ仕事や雑用を含む仕事が無償で成り立つかどうかです。

コミュニスト:それは医療に関して述べたのと同じく、志の問題です。無償でもそうした奉仕的仕事に就きたいという人のほうが、単に生活手段として介護職を選んだ人よりも信頼できるでしょう。

リベラリスト:ですが、そんな奇特の人がサービス提供に必要なだけ集まるかどうかですね。私の意見では、人間という生き物は利益志向的であって、報酬なしでは成り立たない職はかなりあると思うのです。

コミュニスト:それは人間観の相違ですね。共産主義的人間観によれば、人間は本質的にあなたの言われる利益志向的なのではなく、利益志向性は貨幣経済・資本主義という経済社会の構造が生み出した仮の姿なのです。

リベラリスト:非常に楽観的な人間観ではあると思いますが、私の考えでは、あなたが提唱されるような純粋の共産主義が現実の社会として実現し難い理由の一つは、そうした楽観主義的人間観にありそうです。

コミュニスト:福祉の問題に戻すと、福祉もやはり利益志向的に営利化したほうがうまくいくだろうとお考えですか。

リベラリスト:ここでも、私はアメリカ人としては少数派の社会保険制度の支持者でして、ドイツ、日本のような介護保険制度は社会性と営利性を組み合わせた巧みな仕組みだと思います。全面無償ではサービス供給不足は否定できないでしょう。

コミュニスト:ドイツでは要介護認定や給付サービスを相当限定しているそうですが、その点で比較的寛大な日本では現行介護保険制度の下ですでにサービス供給不足が生じてきています。サービス供給は基本的に民間任せで計画性がないのですから、当然の結果です。

リベラリスト:介護と医療とを結合させて計画性を持たせるというご提案は高い理想だとは思いますが、理想どおりにいかないのは、やはり人間の利益志向性のゆえかと。またしても、人間観の相違になってしまいますが。

※本記事は、架空の対談によって構成されています。

コメント    この記事についてブログを書く
« 近未来日本2050年(連載... | トップ | 晩期資本論(連載第59回) »

コメントを投稿