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ワクチン全体主義への警戒

2021-09-04 | 時評

イタリアのマリオ・ドラギ首相が2日、対象となる人全員への将来的なワクチン接種の義務化を検討すると表明した。これは「ヨーロッパ医薬品庁(EMA)が正式に新型コロナウイルスのワクチンを承認すれば」という条件付きのものではあるが、先般アメリカでも正式承認されているので、いずれ承認されるだろう。

任意接種の原則の下、ワクチン接種率が多くの諸国で頭打ちとなる中、感染力の強い変異株の登場でいわゆる集団免疫の成立に必要とされる接種率のレベルが引き上げられているため(接種率90パーセント程度)、いずれ強制接種論が出てくることは予見し得たところではある。

件のドラギ首相という人は本来は政治家でなく、財務官僚やイタリア銀行総裁、欧州中央銀行総裁なども歴任した銀行家であり、資本至上主義(通称・新自由主義)の実務者としてイタリアにおける公営企業の大規模な民営化の推進役でもあった人物である。

そうした背景の人物が首相としてワクチン接種義務化に触れたのは、経済界の意を汲んでのことであろう。経済界としては、コロナ危機を脱するうえで、経済活動を大きく制約するロックダウンよりワクチン義務化の方が好都合であり、また労務管理上も得策と見ているのである。すでに、企業独自の社内政策としてワクチン義務化を推進している社も欧米では出ているところである。

一方、日本ではそもそもワクチン供給の遅滞により義務化をうんぬんする段階ではないようだが、河野太郎担当大臣は、任意接種でも接種率6割までは達成できるが、「そこから先をどうするのかという議論はしていく必要はある」と意味深長な発言をしている(参照記事)。

河野大臣はワクチン供給の担当相であると同時に、菅首相の事実上の辞意表明に伴い、巷間の‘期待感’や自民党内第二派閥に属する立場から、近く行われる自民党総裁選に立候補した場合、次期首相への現実的な就任可能性も出てきた人物であるだけに、今後の動向が注目される。

ちなみに、この発言の対談相手である橋下徹は若者に対するワクチン義務化に肯定的で、「「差別につながる」というきれい事の話よりも、やはり日本の国を守るために若者にワクチンを普及させること。利益と結びつけて、ある意味ニンジンをぶら下げて若者にワクチンを打たせることは、必要不可欠」と発言している。

この人物が創設した現在の日本で最も資本至上主義志向の政党が次期総選挙で躍進するとの予測があり、かつ本人自身の入閣可能性もしばしば取り沙汰されてきたことも、念頭に置くべきであろう。

このように、正面から義務化を打ち出すかどうかにバリエーションはあれ、何らかの形でワクチンを義務化する潮流は、これから世界的に生じていくと予測される。それによって懸念されるのは、差別という問題以上に、医療における自己決定の自由が奪われるという問題である。

その意味で、これは国民のほぼ全員にワクチンを強制する「ワクチン全体主義」とでも呼ぶべき新たな政治経済思潮の登場である。そうした潮流が現代型全体主義国家のモデルを提供している中国ではなく、自由人権を謳う欧州から現れたとすれば、かなりのショックではあろう。*中国は(でさえ)現時点では任意接種制が建前だが、一部地方当局が強制しているとの報告あり(参照記事)。

こうした潮流に対抗できるのは、反ワクチン・デマゴーグではない。自身の売名やその他の利益が狙いのかれらは実際に義務化されれば簡単に陥落するか、すでに自身はこっそり接種を受けている可能性すらある?からである。

真に対抗できるのは、医療における自己決定権を守ろうとする個々人の社会的な抵抗力にほかならない。いくら義務化とはいえ、警官がワクチン拒否者に手錠をかけて接種場所まで引きずっていくことまではできまいし、ワクチン拒否者を片端から検挙して罰則を科するというようなことも現実的ではないからである。

しかし、それを見越して、ワクチン・イデオローグ側にも奥の手はある。文字通りの義務化ではなく、例えば、各職場の経営者や人が集まるイベントの主催者、店舗等の管理者らに、労働者や参加者・入店者のワクチン証明を求めるかどうかの裁量権を与えてしまうことである。

このような裁量的義務化政策が施行されれば、人は自分が働く/働きたい職場のほか、参加したいイベントや入店したい店舗等がワクチン証明を求める限り、嫌でも接種を受けざるを得なくなる。

敵にヒントを与えてしまうようで後ろめたいが、このような心理的間接強制の制度は、個々人の社会的な抵抗力を萎えさせる上で、直接的な強制による以上に、効果的である。こうした狡猾なやり方に抵抗するには、失業も覚悟の勇気と行きたい場所に立ち入らない忍耐とが必要になるだろう。

ワクチン全体主義に対するより究極的な抵抗力は、―全く望まないことだが―既存ワクチンが功を奏しない新たな最凶レベル変異種が登場することによりワクチンによる集団免疫論が完全に破綻し、ワクチンより治療薬の普及が求められるようになるという―ある意味では医療における正攻法の―新たな展開から生まれるだろう。


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