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近代科学の政治経済史(連載第43回)

2023-02-03 | 〆近代科学の政治経済史

八 科学と政治の一体化:ソヴィエト科学(続き)

情報科学の進展と政治的停滞
 ソ連における情報科学の研究開発は、第二次大戦後の冷戦構造の中で、西側に伍していくうえで科学技術の進歩が不可欠とみなしていたスターリン政権の国策に基づいて本格的に始動する。1948年にソ連科学アカデミー精密機械・コンピュータ工学研究所が設立され、本格的な情報科学研究の拠点となった。
 同年には、アメリカの数学者ノーバート・ウィーナーが提唱し、今日のサイバースペースの基盤ともなっている生体‐機械間の相互的な情報科学理論サイバネティクスが世界で注目を集めたが、ソ連では他の西側所産の科学理論と同様、サイバネティクスも「ブルジョワ疑似科学」などとしていったん政治的に排斥された。
 しかし、情報科学の基礎理論としてのサイバネティクスはソ連でも実利的に受容され、1950年代以降、ソ連独自のコンピュータ開発が進んでいく。その嚆矢は、ウクライナ科学アカデミーのキエフ電気技術研究所を率いたセルゲイ・レベデフが開発した集積回路を持たない高速コンピューターБЭСМであった。
 БЭСМの集大成版となった半導体トランジスタによる汎用スーパーコンピュータБЭСМ6は1968年から20年近くにわたり生産され、軍用・民生用など様々な場面で長く活用された。
 БЭСМシリーズの開発をリードしたレべデフは1973年に死去したが、アメリカ電気電子学会コンピュータソサエティがコンピュータ業界における創造と活力の持続に寄与した人士を顕彰するために創設した賞であるコンピュータパイオニア賞(CPA)をソ連解体後の1996年に追贈された。
 ちなみに、同年にレべデフとともにCPAを同時追贈されたアレクセイ・リャプノフはソ連におけるサイバネティクスの浸透とプログラミング言語の第一人者としてリードした数学者・情報科学者であった。
 一方、ソ連科学アカデミーエネルギー研究所でも、全論理回路を半導体で作製したM-1コンピュータが開発されたほか、小型パーソナル・コンピュータとしては、キエフのサイバネティクス研究所が汎用性の高いミールのシリーズを開発した。
 かくして、ソ連の情報科学は1960年代にかけて大きく進歩し、当時この分野ではアメリカと並ぶか、むしろ上回る世界最先端に到達していたと見られるが、70年代以降、停滞を見せ始める。
 その要因として、ソ連では情報科学も軍事目的と密接に結びついており、機密性が強く、国際的に公開・利用されることがなかったこと、国策として国立の科学アカデミー系研究所で開発されたため、継続的な量産を予定せず、ビットや周辺機器等のスタンダードが規格化されなかったことから、更新性や互換性に欠けたことがある。
 そうした技術的な限界に加え、(おそらくは財政難から)共産党指導部が新規のコンピュータ開発を中止し、西側のコンピュータ、とりわけ米国IBM社製品の海賊版に依存するという安易な便法に走ったことで、以後の情報科学の進展が停滞したことが決定的であった。これもまた、政治と一体化されたソヴィエト科学の限界と言える。

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